The Sites of the World Cup
ワールドカップのピステ
Furano (Hokkaido JPN)
富良野 (北海道)

マリーテレーズ・ナディック(SUI) '79/DH 相原博之(東海大) 1987 DH/9th

 日本で最初のワールドカップ会場となったのは苗場だったが、その後は富良野に会場が移った。札幌オリンピック(1972年)の翌年、1975年3月に日本で初めてのワールドカップが新潟県の苗場スキー場で開催され、2年後の1977年も苗場、そしてさらに2年後の1977年からは北海道の富良野に移ったのである。

 1977、79、81年までは男女同時開催(種目はともにSL、GS)、83年は女子(SL、GS)、85年は男子(DH、SG)、86年女子(DH、SG)、87年男子(DH、SG)、そして1989年には再び男女同時開催で行なわれた(GS、SL)。この年は富良野の後、志賀高原でこのシーズンの最終戦が行なわれ、インゲマル・ステンマルク(SWE)が引退していった。富良野では1985年にも男子のワールドカップ(GS、SL)が開催されたが、その後は開催されなくなってしまって現在に至る。

 バブル華やかなりし時代、日本はスキーブームでスキー用品は世界の3分の1を売り上げていた時代である。日本には力があった。選手は勝てなくても市場としての価値は十分にあったのである。昔の栄華今いずこ、栄枯盛衰は世の習いとはいえ、情けない国になってしまったものだ。ワールドカップ開催国としての日本の評価は今や地に落ちている。雪は悪い、天気も悪い、観客も少ない。だってこれは仕方がないべさ(と突然北海道弁)。条件の良い1月はヨーロッパのクラシックシーズンで会場は固定しているし、2月は世界選手権やオリンピックで日本に来る余地はない。加えて2月に行なわれた盛岡・雫石の世界選手権(1993年)や長野オリンピック(1998年)でも悪天候でまともにレースは出来なかった。評価が地に落ちても仕様がないのだ。日本には行きたくないという多くの声は無視出来ない状況になっているのも事実なのである。

 レザルトを見て欲しい。きら星のように並んでいる当時のスター達。どのような条件でも選手達は全力を尽くしレースに挑む。スキーファンの心をとらえて放さないこれらのスター達は、今ではみんな引退してしまったけれども、たまに会う彼らは全て異口同音に「日本は素晴らしかった」と懐かしげに言う。FISのお偉方が何と言おうとも、彼らは日本に深い愛着を持ち、日本で過ごしたたまさかの数日間を深く記憶の底に畳み込んでいるのである。

 富良野で行なわれたワールドカップの奇跡を振り返ってみよう。
 '77年、女子スラロームで優勝したレギーナ・サックル(AUT)はこれがワールドカップ初優勝。
 同じ'77年男子大回転で優勝したハンス・ヒンターゼア(AUT)は'75年の苗場でのスラローム初優勝に次ぐ日本での2勝目。
 '79年、女子大回転でマリーテレーズ・ナディック(SUI)は2位のアンネマリー・モザー・プレル(AUT)に5秒20の大差を付けて勝った。これは破られることのない大記録である。
 同じ'79年、インゲマル・ステンマルク(SWE)が回転、大回転に連勝。
 '81年、女子回転で勝ったエリカ・ヘス(SUI)は'77年に16歳でワールドカップにデビューしてこの年の3月に初めて富良野にやってきた。そのときはまだ第3シードだったが、彼女にインタビューを申し込むと「何で私に」と驚きながらも応じてくれた。「何故ならあなたは必ずトップに上がってくるからですよ」と言うと、頬を赤らめてはじかみながらインタビューに応じてくれた。'81年に勝った際、前と同じプリンスホテルのロビーでインタビューしたとき、「あのときのことは良く覚えています」と、やはり頬を赤らめて言った。
 同じ'81年、男子大回転でアレキサンドル・ツィーロフ(SOV=当時)、回転でフィル・メーア(USA)が勝ったとき、ゴールに設置されたプレステントで、一斗缶に燃える炭火で暖を取りながら(雨が降っていて寒かった)、いよいよスキーも米ソ対決の時代になったなと、プレス達とひそひそと話し合った。
 '83年、女子回転で勝ったタマラ・マッキニー(USA)はこの年の女子総合優勝をこの勝利で決めた。
 '85年、男子滑降で勝ったトッド・ブルッカー(CAN)はクレージー・カナックの最後の選手。翌年引退したが引退後はアメリカのスポーツ・チャンネル、ESPNのコメンテーターを務めている。同じレースで3位に入っているブルーノ・ケルネン(SUI)は、現在現役のブルーノ・ケルネン(SUI)と同姓同名だが別人。したがって現在のネルネンはしばらく
Bruno Kernen II と表示されていた。
 同じ年のスーパーGではダニエル・マーラー(SUI)とスティーブン・リー(AUS)が同着優勝。二人ともスーパーGはこの1勝のみだが、リーはこれがワールドカップただ一つの優勝である。
 '86年、女子滑降で勝ったマリア・ヴァリサー(SUI)はこの年総合優勝を達成した。富良野の滑降では瞬間時速140km/hの女子新記録を作った。同じ年の女子スーパーGで勝ったリーサ・サビジャービ(CAN)はこれが唯一のワールドカップ勝利。それまであまり名前も知られていなかったがよく見ると美少女だった。
 '87年の男子滑降で東海大の相原博之選手が日本人男子滑降最高位の9位に入賞している。
 '89年の大回転で優勝しているルドルフ・ニールリッヒ(AUT)はこの2年後、自動車事故で帰らぬ人となった。
 同じ年の男子回転で勝ったオーレ・クリスチャン・フルセット(NOR)はこれがワールドカップ初優勝。直後の志賀高原では大回転の初優勝を決めている。
 '95年の大回転で勝ったマリオ・ライター(AUT)はこれがワールドカップ初優勝。スーパー・マリオのニックネームはこのときに付いた。

Furano Ladies Result
. . 1. 2. 3.
1977 SL Sackl 1:11.99 Moser-Proell -0.14 Giordani -0.77
GS Kaserer 1:37.32 Morerod -1.22 Moser-Proell -2.70
1979 SL Pelen 90.05 Wenzel H. -0.01 Moser^Proell -1.19
GS Nadig 2:46.03 Moser-Proell -5.20 Epple I. -5.39
1981 SL Hess E. 79.18 Cooper -0.18 Beck-Epple -0.41
GS Nadig 2:34.05 Wenzel H. -0.39 Cooper -0.81
1983 SL McKinney 71.80 Hess E. -0.20 Tlalka M. -0.32
GS Wenzel H. 2:31.23 Serrat -1.95 Walliser -2.17
1986 DH Walliser 1:19.92 Oertli -0.19 Graham -0.40
SG Savijarvi 1:20.43 Winkler -0.61 Fletcher -0.40
1989 GS Walliser 2:20.37 Svet -0.87 Schneider F. -1.61
SL Schneider F. 101.17 Sarec -0.11 McKinney -0.81
1991 DH Haas 1:22.83 Bournissen 1:23.13 Zelenskaja 1:23.40
SG Merle 1:20.66 Thys 1:21.01 Ginther 1:21.14

Furano Men's Result
. . 1. 2. 3.
1977 GS Hinterseer 3:11.58 Brunner -0.52 Good -0.69
SL Heidegger 1:17.65 Stenmark -0.23 Noeckler -0.34
1979 GS Stenmark 2:58.59 Hemmi H. -1.66 Fournier -1.82
SL Stenmark 1:08.14 Neureuther -0.77 Frommelt -1.82
1981 GS Zhirov 3:00.41 Jaeger -1.13 Stenmark -1.22
SL Mahre P. 96.97 Krizaj -0.24 Stenmark -0.49
1985 DH Brooker 1:55.62 Wildgruber -0.56 Kernen -0.73
SG Mahrer / Lee 1:31.36 - . Stemmle -0.28
1987 DH Mueller 1:53.89 Girardelli -0.75 Mair -0.95
SG Girardelli 1:27.14 Zurbriggen -1.34 Stock -1.39
1989 GS Nierlich 2:15.98 Furuseth 2:16.05 Zurbriggen 2:16.91
SL Furuseth 1:50.53 Tomba 1:51.52 Nilsson 1:51.93
1995 GS Reiter 2:38.92 Kosir 2:39.03 Strand Nilsen 2:39.17
SL Tritscher M. 1:47.94 Reiter 1:48.66 Furuseth 1:48.83