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| "Audi" FIS
Alpine Ski World cup 2005/06 Finals in Are(SWE) |
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"Audi" FIS Alpine Ski World Cup Finals 2006 in Are(SWE) 15,Mar,2006 -
19,Mar,2006 |
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FIS Alpine Ski World cup 2005/06, Men's Slalom
アルペンスキー・ワールドカップ2005/06 男子回転
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| World Cup 2005/06, Men's Slalom Top 3, (L-R) 2nd / Palander(FIN), 1st /
Rocca(ITA), 3rd / Raich(AUT) |
開幕からいきなり、ビーバー・クリーク(USA)、マドンナ(ITA)、クラニスカ・ゴラ(SLO)、アーデルボーデン(SUI)、ウェンゲン(SUI)と5連勝を飾ったジョルジオ・ロッカ(ITA)が初の種目別タイトルを獲得した。だがロッカはウェンゲンの後突然の不調に陥り、キッツビューエル(AUT)、シュラドミング(AUT)と連続途中棄権、そして不調を抱えたまま乗り込んだ地国開催のトリノ・オリンピックでは1本目たったの34秒で姿を消した。総合2位には2勝を挙げたカレ・パランダー(FIN)、3位は1勝のみのベンジャミン・ライヒ(AUT)。
オリンピック後、シュラドミングと志賀高原・第2戦で勝ったカレ・パランダーがロッカに52ポイント差まで迫って最終戦のオーレ(SWE)までタイトル争いを持ち込んだ。だがパランダーは、最終戦スラロームの前日の大回転で怪我をして最終戦を回避、天の助けでロッカは念願のタイトルを手にした。ロッカは最終戦でも途中棄権でノーポイントに終わったから、パランダーには大いにチャンスはあったのだが、、ま、たらればの話ではある。
第6戦のキッツビューエルで4年ぶりに勝った前回のオリンピック・チャンピオン、ジャン・ピエール・ヴィダル(FRA)は2回目の金メダルを目指してトリノに乗り込んだが、前日のトレーニングで腕を骨折し、そのまま引退を発表した。
ベンジャミン・ライヒは何度も1本目にベストタイムをマークし、勝つチャンスは何度もあったが2本目に失敗してコースアウト、というパターンでシーズンを送っていたが、志賀高原の第1戦でようやく今季の初優勝を挙げた。同第2戦で4位に入りワールドカップの総合優勝を確定した。
その志賀高原・第2戦でパランダーと同タイムで同着優勝を果たしたラインフリード・ヘルブスト(AUT)は、これが参戦4年目にしてのワールドカップ初優勝。今季はナショナルチームから外され、自費でワールドカップを転戦して好成績を出していた。執念がオリンピックの銀メダルとワールドカップの初優勝をもたらした。現在27歳、決して若くはないが、これは怪我に泣いた年月が長かったからである。
最終戦のオーレで勝ったのは地元スウェーデンのマルクス・ラルション。彼も1979年生まれの27歳。ワールドカップ参戦6年目にして得た栄冠である。
日本チームは驚異的な成績を残した。児玉ジャパンが他を脅かし続けたシーズンだった。シュラドミングと志賀高原・第1戦で2位に入った佐々木明(ガーラ湯沢)は開幕第1戦のビーバー・クリークで4位、志賀高原第2戦では6位とファンを大いにわかせてくれた。彼にないのは表彰台のてっぺんだけだ。
ウェンゲンで4位、シュラドミングで6位、志賀高原・第2戦で7位と一桁入賞に定着した皆川賢太郎(アルビレックス新潟)はトリノ・オリンピックでは猪谷千春選手以来50年ぶりとなる一桁入賞の4位を確保した。大きな怪我からの復活は今までの日本選手にはなかったパターンで、本人の努力と周りのサポートのたまものだ。その意味でも高く評価された。
もう一人若手の湯浅直樹(北海道東海大)は遅いスタート順からインを鋭く突く入射角でめきめきと力を付けてきた。クラニスカ・ゴラでは50番スタートから7位に入賞し、トリノ・オリンピックでも7位と一桁入賞を果たした。腰と膝の怪我との戦いのシーズンだった。膝の骨が欠けたままの戦いだった。これからの成長が大いに期待される逸材である。日本チームの来期は第1シード3人態勢も夢ではない。
ワールドカップのスタート順を決めるWCSL(World Cup Starting List)ランキングは佐々木明・8位、皆川賢太郎・10位、湯浅直樹・26位である。ファーイーストカップの回転で総合優勝した花田将司(北海道東海大・19歳)も来期のワールドカップ出場権を得た。
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Men's Slalom Standings
Men's Slalom WCSL Ranking |
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