SKI&SKI Top
ZELENSKAJA Warwara (RUS)
1972年10月5日 Petropavlovsk Kamchatkiy(RUS) 生まれ
身長 172cm / 体重 57kg

SKI: Mizuno →Fischer
BOOTS: Lange
BINDING: Marker
Wear: Mizuno


※2002年 引退
Nagano Happo-one '97 Downholl / 1st
Bormio95 DH/2nd Sestriere WM97 DH
Bormio 95 DH / 2nd Sestriere WM 97 DH / 6th
St. Anton WM 01 SG Salt Lake City OWG 02 DH

World Cup Ranking
General

1989/59th, 1990/58th, 1991/21st, 1992/42nd, 1993/25th, 1994/32nd,
1995/13th, 1996/17th, 1998/42nd, 1999/-, 2000/28th, 2001/66th, 2002/57th,
Special
1997 DH/3rd, 2000 DH/11th, SG/16th, 2001 DH/34th, SG/32nd,
2002 SG/21st, DH/28th,
World Championships
1989 Vail. SG/29th, K/18th,
1991 Saalbach. SG/11th, DH/14th, GS/31st, K/14th.
1993 Morioka/Shizukuishi. DH/13th, SG/21st, GS/28th.
1996 Sierra Nevada. DH/13th, GS/22nd, SG/23rd.
1997 Sestriere. DH/6th, SG/10th.
2001 St.Anton. DH/21st, SG/17th.
Olympic Games
1992 Albertvill. SG/24th.
1994 Lillehammer. DH/8th, SG/21st.
1998 Nagano. DH 13th, SG/12th.
2002 Salt Lake City. DH/21st, SG/26th,
World Cup - 4 w. (4 DH)
1. DH: Narvik 96-II, Laax 97, Hakuba 97- I+II.
2. DH: Haus 93, Saalbach 95, Lenzeeheide 95, Bormio 95, Narvik 96-I.
3. DH: Morzine 91, Furano 91, Lake Louise 96.
SG: Lake Louise 97
4. DH: Lake Louise 91, Sta Caterina 92, Lillehammer 93, Cortina 97, Bormio 00,
SG: Sierra Nevada 94, Saalbach 95
5. DH: Bad Kleinkirdhheim 91, Cortina 94,95-II, Altenmarkt 00,
SG: Cortina 93, Innsbruck 00,
6. DH: Garmisch 91, Tignes 94, St.Anton 94, lake Louise 95, St.Anton 96, Val d'Isere 96,
SG: Vail 97, Mammoth Mtn. 98, Bormio 00,
7. DH: Lake Louise 95, Cortina 96, Sta.Caterina 00,
SG: Cortina 98,
8. SG: Val d'Isere 97, Altenmarkt 00,
9. DH: Serre Chevalie 92, Schluns 92, Kvitfjell 96, Lake Louise 97, Lenzerheide 00,
10. DH: Lake Louise 89, Steamboat Springs 89, Morzine 93, Vail 95,

 1996年3月1日はワルワラ・ツェレンスカヤ(RUS)とロシアチームにとって、そして日本のスキー業界にとってもスキー史上記念すべき日になった。ツェレンスカヤは「ミズノスキー」で初勝利を勝ち取ったのである。

 ノルウェーのナルビックは北極圏の北緯68度40分にある港町である。ここにはノルウェーでも数少ないFIS公認の滑降コースがある。「フィエルハイム・ロイペ」と名付けられたこのコースは、ノルウェー海のフィヨルドの海岸縁まで続いている。ワールドカップ開催地としては最北端に位置するスキー場である。

 この極北の地で行なわれたワールドカップ女子滑降は、強風荒れ狂う中でスプリント方式で行なわれた。2月29日の第1戦はピカボ・ストリート(USA)が征し、1本目ベストタイムを出したツェレンスカヤは2位に終わった。そして翌3月1日に行なわれた第2戦。1本目2位のストリートにコンマ69差でトップに立ったツェレンスカヤはそのまま逃げ切り、初勝利を手にしたのである。これはミズノスキーのみならず日本製のスキーの高速系種目における初勝利でもあった。

 カムチャッカから来たワルワラ・ツェレンスカヤは当時まだ24歳の若さだったが、すでにワールドカップの滑降選手として8年目を迎えていた。表彰台には6回も上っていたが(2位4回、3位2回)中央に立ったのはこれが初めてだった。95年のシーズンは、後半3レース連続で100分の数秒差でピカボ・ストリートに敗れての2位になり、95/96シーズンはレーク・ルイーズ(CAN)で行なわれた第1戦で、29人滑った時点でベストタイムをマークしていたのに悪天候でレースがキャンセルになった。そうした涙や怒りを何回見たことだろう。そんなときのワルワラは悲しげな目を見開いて、かわいい鼻を赤くしているだけで声をかけるのさえためらわれた。

 だがついにその日はやってきた。「このコースは物凄く難しかった。本当に素晴らしい日だった。わたしたちロシアチームはずっとこの日を待っていた。歴史に残る日になった」。興奮気味に喜びを語るツェレンスカヤの姿がそこにあった。

 1996/97シーズンはワルワラにとって夢のような充実したシーズンになった。1997年2月1日、ラークス(SUI)で行なわれた滑降で2勝目を飾り、八方尾根で行なわれたプレオリンピックでは、2月28日と3月2日に行なわれた女子滑降2連戦でなんと2連勝を飾ったのである。日本のマスコミ各社は、アルペンの報道史上最大のスペースをこの事件に割いた。これはまさしく事件だった。日本のテクノロジーが世界を制した瞬間だった。過去、技術系では「ヤマハスキー」を履いたフィン・クリスチャン・ヤーゲ(NOR)がアルベールビル(FRA)五輪の回転で優勝し、「ミズノ」を履いたアンドレイ・ミクラウス(SLO)がパーク・シティ(USA)のワールドカップ回転で優勝を飾っているが、高速系ではツェレンスカヤが初めてだった。技術系のスキーはすでに世界水準にある日本のテクノロジーだが、高速系ではまだ数年の遅れがあると思われていた。「ミズノスキー」は回転と滑降の両方で世界を制したのである。これは日本のみならず世界のスキー業界で事件だったのである。

 また「ミズノスキー」はスーパーGでもスベトラナ・グラディシバ(RUS)が、リルハンマー(NOR)五輪のスーパーGで銀メダルを獲得し、96年12月、ヴェイル(USA)で行なわれたワールドカップのスーパーGでも優勝を飾っている。