WENZEL Hanni (LIE)

1956年12月14日 Planken(BRD)生まれ

SKI: Völkl
BOOTS: Dinafit
BINDING: Salomon


※1985年引退

LakePlacid OWG80 GS/1st Watervill Valley88 GS/1st
Lake Placid 1980 OWG GS/ 1st Watervill Valley 80 GS/1st

1978 Overall Podium
World Cup 78 Camp. podium with Stenmark
World Cup Ranking
General

1972/40th, 1973/5th, 1974/3rd, 1975/2nd, 1976/9th, 1977/5th, 1978/1st,
1979/2nd, 1980/1st, 1981/3rd, 1982/19th, 1983/2nd, 1984/2nd,
Special
1973 GS/3rd, 1974 GS/1st, 1975 SL/2nd, 1978 SL/1st, GS/2nd,
1979 GS/2nd, 1980 DH/3rd, SL/2nd, GS/1st, 1984 DH/3rd,
World Championships
1974 St.Moritz SL/ 1st, K/ 2nd
1978 Garmisch GS/5th, SL/6th
1982 Schladming GS/4th.
Olympic Games
1976 Innsbruck SL/3rd, K/3rd
1980 Lake Placid SL/1st, GS/1st, DH/2nd, K/1st(WCS),
World Cup - 33 w. (2 DH, 10 SL, 12 GS, 9 K)
1. DH: Haus 83, Badgastei 84.
SL: Naeba 75, Sun Valley 75, Maribor 78, Berchtesgaden 78,
Pfronten 79, Maribor 79, Badgastein 80, Maribor 80,
Piancavallo 81, Zwiasel 84
GS: Zell am See 73, Madonna 77, Les Mosses 78, Stratton 78,
Piancavallo 78, Limone 79, Berchtesgaden 80, Arosa 80,
Megeve 80, Watervill Valley 80, Furano 83, haus 83,
K : Schruns 77, Berchtesgaden 78, Pfronten 79, Piancavallo 79,
Badgastein 80, Megeve 81, Haus 81, Les Diablerets 83,
Badgastein 84
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 ハンニは・ウェンツェルは1977/78シーズンと1979/80シーズンの2回総合優勝を果たした。79/80シーズンは弟のアンドレアスとともに表彰台の真ん中に立った。姉弟そろってのワールドカップ総合優勝はこれ1回きりである。
 「スポーツマンだった父は、ワールドカップが行なわれているシュルンス(AUT)に連れて行ってくれた。私が7歳のときだった。家中が素晴らしく美しいフォームのロジ・ミッターマイヤー(BRD)のファンだった。彼女はそのシュルンスで初めて勝った。皆で彼女について、ワールドカップについて話し合った。その日、私は心の中で、偉大なスキーヤーになろうと決心した。ワールドカップはレーサーにとって妬ましいほどの目標だ。キリーもナンシー・グリーンもステンマルクも同じことを言った。私も同じことを言いたい。私は夢を果たして本当にしあわせだ」
 ハンニの「しあわせ」はほかのところにもあった。78年は男子はステンマルクが優勝している。アローザの表彰台の上ではハンニは「大好きな」ステンマルクに抱かれるようにして手を高くかざした。クリスタルトロフィーをしっかりと握りしめて。いつもはほがらかなハンニが、感激を押さえ切れず涙を流した。それは心洗われるような涙だった。しかしその「大好きな」ステンマルクはスチュワーデスのアン・ウハーゲンのもとに走った。ハンニの小さな恋心は自分自身の手で消さなければならなかったのだ。

 79/80シーズンのハンニの強さはまさに圧倒的だった。大回転では第2戦のリモーネ(ITA)から5連勝、早々と種目別優勝を決め、回転でもバドガスタイン(AUT)、マリボール(JUG)で連勝した。とくに素晴らしいのが滑降。弟と同じようにほとんど練習しないのに3位3回をはじめ、すべて7位以上で滑り込んだ。コンビも2勝し、シーズン半ばの1月末にはほぼ総合優勝を固めてしまった。レークプラシッド(USA)五輪の回転、大回転で優勝し、ハンニはアルペンサーカスの女王にのし上がった。

 80年、彼女の力を最も見せつけたレースがメジェーブ(FRA)の大回転だった。寒く乾燥して素晴らしい青空。変化に富んだピステをこなしたハンニは2位フランスのペリーヌ・ペランになんと5秒02の信じられない大差をつけて勝った。これは新記録ではない。しかし1年前、マリーテレーズ・ナディック(SUI)が富良野でアンネマリー・モザー・プレル(AUT)に5秒20差をつけた記録があるが、この時は最終戦で選手達はもうファイトを無くしている時だった。ところがハンニの記録はオリンピック前で、各選手は最高の状態にある。
 1本目でイレーネ・エップレ(BRD)を1秒72離したハンニの2本目の途中ラップを聞いた選手達は雷に打たれたように呆然とした。中間の急斜面ですでに他の選手を2秒もちぎってしまった。彼女がピステを降り切った時、フランスのコーチ、フールノは感に堪えたように言った。「こんな滑り見たこともない。悪魔の仕わざだ。完全な滑走ライン、どんな小さな失敗もしていない。しかもこんな難しいコースで」 スキーの押し出し、斜面に対する素晴らしい予見と奇跡のような完璧さだった。彼女の特徴である、スキーをいつも雪面につけた理想的な軌道はほれぼれするものだった。

 ハンニはその思いやりの深さで誰からも好かれていた。がっしりした体に笑うとくしゃくしゃになる丸い顔。なかなかのインテリで体育の分野では大学クラスの専門知識を持っていた。政治に関心があるかと思えば、自動車が好きでF1レースを追いかけたりもしていた。この時24歳。現在は夫君の元ダウンヒル・レーサー、ハルティ・バイラーター(AUT)とともに、選手のプライベート・スポンサーを斡旋、またイベントを企画するエージェントを経営している。2人の子供のママでもある。