STREET Picabo (USA)
1971年4月3日 Triumph,ID.(USA)生まれ
身長 170cm 体重 64kg

SKI: Rossignol →Voelkl
BOOTS: Lange
BINDING: Marker

※2002年 引退
Vail95 DH Cortina95 DH/1st
Vail 95 Cortina 95 DH/1st
PicavoFace World Cup Ranking
General

1993/39th, 1994/36th, 1995/5th,1996/6th, 1997/71st,
1998/46th, 1999/-, 2000/-, 2001/68th, 2002/52nd,
Special
1995 DH/1st, 1996 DH/1st, 2002 DH/17th.
World Championships
1993 盛岡・雫石: K/2nd,
1996 Sierra Nevada: DH/1st, SG/3rd.
Olympic Games
1994 Lillehammer: DH/2nd
1998 Nagano: SG/1st, DH/6th.
2002 Salt Lake City: DH/16th.
World Cup - 9 w.(9 DH)
1. DH: Lake Louise 95,96, Cortina 95,96, Are 85, Saalbach 95,
Lenzerheide 95, Bormio 95, Narvik 96,
2. DH: Lillehammer 93, Cortina 95-I, 96-II, Val d'Isere 96, Narvik 96-I,
SG: Garmisch 93,
3. DH: St.Anton 96-II,
SG: Lake Louise 95,
4. DH: Vail94, Lake Louise 97, Cortina 98
5. DH: Lake Louise 02-II,
SG: Val d'Isere 96-I,
K: St.Anton 96
6. DH: St.Anton 96-I, Lake Louise 02-I,

 輝く水の妖精は白馬の地で輝く星になった。10歳のときに父親と約束した「オリンピックで金メダルを取る」という夢を26歳で果たした。

 ピカボは96/97シーズン開幕直後の12月、地元アメリカ、ベイルでの滑降トレーニングの際風にあおられて大転倒した。左足膝の十字靱帯を断列しこのシーズンを棒に振った。手術後のカムバックには長い痛い時間を過ごさねばならなかった。秋、実際に集中的トレーニングを始めたのだがスキーを履くにはまだ長い時間を必要とした。だがオリンピックに寄せる思いが彼女を白馬へと向かわせた。

 1997年のプレ大会のとき、ピカボはスキーを持たずに白馬にやってきた。ライバル達を横目に見ながらコーチのアンドレアス・リッケンバックの背に背負われてコースインスペクションを行なった。八方尾根のコースを頭に焼き付けレースを見ずに彼女は去った。
 「日本は私にとって非常に特別な国です。ここに来ると非常にくつろいだ気分にさせてくれる。そして前向きのエネルギーを与えてくれる。実際私がここに来たとき心地よい心の振動を感じた」。

 ピカボが狙っていたのはダウンヒルの金だった。だが勝ったのはスーパーGだった。スーパーGではワールドカップでも優勝の経験はない。ビッグイベントでは2位1回、3位1回。96年のシエラ・ネバダ(SPA)世界選手権では滑降で金メダルを獲得しているがスーパーGでは3位だった。

 レース当日の朝、不機嫌で黙りこくっているピカボに、サービスマンは滑降用の板を履くように指示した。これはコースをセットしたロシア人のレオニッド・マレニコフのアドバイスによる。この日表彰台に立った3人はいずれも滑降用の板を使用していたのである。2番スタートのピカボにはコース状況に関して何の情報も届いてはいなかった。だが果敢に攻めた。

 念願の金メダルを手にし、幸福の絶頂にあったピカボをまたまた不幸が襲った。このシーズン最終戦のクラン・モンタナの女子滑降で転倒し、左足を骨折してしまったのである。ピカボは98/99シーズンはリハビリのためにワールドカップを欠場した。再びその優美な姿を見ることができたのは1999/2000年のシーズンからだった。

 ピカボ・ストリート、26歳、アメリカ・アイダホ州トライアンフ生まれ。ピカボとはインディアンの言葉で「輝く水」を意味する。彼女は2002年ソルトレーク・シティ(USA)オリンピックで滑降の金を狙う。

 ソルトレーク・オリンピックは滑降にだけ出場し、16位。これをもって引退した。