RIEGLER Claudia (NZE)
1976年7月16日 Salzburg(AUT)生まれ
身長 174cm 体重 62kg

SKI: Rossignol
BOOTS: Rossignol
BINDING: Rossignol


※2003年・引退

Parkcity03 SL StMoritz WM03 SL
Park City 03 SL St.Moritz WM03 SL

ClaudiaFace World Cup Ranking
General

1995/76th, 1996/29th, 1997/13th, 1998/49th, 1999/56th, 2000/44th,
2001/52nd, 2002/95th, 2003/58th.
Special
1997 SL/2nd, 1998/18th, 1999/20th, 2002 SL/38th, 2003 SL/21st.
World Championships
1996 Sierra Navada SL/4th.
1999 Vail SL/DNF.
2003 St.Moritz SL/16th.
Olympic Games
2002 Salt Lake City SL/11th.
World Cup - 4 w. (4 SL)
1. SL: Serre Chevallier 96, Park City 97, Crans Montana 97, Laax 97
3. SL: Maribor 96, Semmering 97-II, Park City 98, Lenzerheide 03,
5. SL: Semmering 96-II, Sestriere 01-II,
6. SL: Semmering 96-I, Park City 01,
7. SL: Semmering 96-I,
8. SL: Lienz 98-II, Sta.Caterina 00,
9. SL: Semmering 97-I, vail 97, Bormio 98-I,
10. SL: Serre Chevalier 00,

 クラウディア・リーグラーは1992年、16歳でオーストリア・ジュニア選手権スラロームで優勝した。しかし、オーストリアチームは彼女をナショナルチームに抜擢しなかった。リーグラーの父親はオーストリア人だが母親はニュージーランド人だった。彼女はデュアル市民権を利用してニュージーランドからワールドカップに出場する道を選んだ。クラウディアの初優勝は1996年1月28日、セレ・シェバリエ(FRA)でのスラロームである。
 オーストリアチームは96年のシエラ・ネバダ(SPA)の世界選手権のために、彼女のオーストリアへの復帰を要請したがクラウディアは戻らなかった。この世界選手権では彼女は4位に終わった。だがこれはオーストリア人としては最高位の成績である。翌97シーズン、彼女はパーク・シティ(USA)、クラン・モンタナ(SUI)、ラークス(SUI)で勝ち、この年の種目別で2位の座を獲得した。
 ニュージーランドからの選手というと1992年にヒンターストッダー(AUT)の回転に優勝したアンネリーゼ・コベルガーがいるが、彼女もベースはオーストリアだった。アルペンスキーでマイナーな国から出て活躍するには、チーム力や財政的な問題、トレーニング環境など色々とハンディがあるが、それを乗り越えてワールドカップで優勝するのには本人の素質もさることながら、やはりモチベーションと周囲のサポートが重要である。
 98/99シーズンは緒戦のパーク・シティ(USA)で怪我をして出遅れた。まだ22歳、これからである

Claudia-Ikki  それから5年、26歳になった2003年、クラウディアはまだ健在だった。レンツェルハイド(SUI)のスラロームで3位。'97年11月、パーク・シティ(USA)の3位以来5年ぶりの表彰台に上がった。サン・モリッツで開催された世界選手権にも出場。16位に終わったが、相変わらず夜の方もまた健在だった。

 女子スラロームが終わった夜、ヒロとKipoは「カサ・イタリア」でサン・モリッツ最後の夜を過ごそうと出かけた。Kipoと同じテーブルに肩丸出しのイブニングドレスで座ったクラウディア。開口一番「ワタシ、サミシイノ」と日本語が出た。「まあ飲みなさいよ」とワインを勧めると、「イッキ、イッキ」と言いながら飲み干すクラウディア。片言ながらも日本語を話す彼女に周囲も驚きの眼でただただ眺めるのみ。ひとしきり騒いでどこかに消えた。たぶんトーマス・シコーラのところへ行ったのだろう。

2003年4月3日・引退を発表した