REY-BELLET Corinne (SUI)

1972年8月2日 Les Crosets/Val d'Iliez VS(SUI)生まれ
163cm / 64kg

SKI: Dynastar
BOOTS: Lange
BINDINGS: Look

※2003年・引退
parkcityGS SierraNevadaGS
Park city GS Sierra Nevada GS
StMoritz WM03 GS/2nd
St Moritz WM03 DH/ 2nd

CorinneFaceStMoritzWM03GS/2nd World Cup Ranking
General

1992/64th, 1993/56th, 1994/65th, 1995/69th, 1996/52nd, 1997/-, 1998/43rd, 1999/10th,
2000/11th, 2001/8th, 2002/7th, 2003/15th,
Special
1999 DH/9th, SG/7th, GS/11th, 2000 DH/4th, SG/15th, GS/20th, 2001 DH/8th, SG/7th, GS/5th,
2002 DH/3rd, SG/16th, GS/18th,
2003 DH/5th, SG/12th.
World Championships
1993 Morioka GS/14th, SG/40th.
1996 Sierra Nevada DH/10th, SG/10th.
1999 vail/Beaver Creek DH/17th, SG/8th, GS/6th, K/8th.
2001 St.Anton DH/4th, SG/6th.
2003 St.Moritz DH/2rd, SG/7th.
Olympic Games
1992 Albertvill GS/17th.
1998 Nagano DH/30th, SG/31st.
2002 Salt Lake City DH/5th,
World Cup - 5 w. (3 DH, 2 SG)
1. DH: St.Anton 99. Altenmarkt 00, Lanzerheide 02,
SG: St.Anton 99, Are 01,
2. DH: Bormio 00, Lake Louise 03-II,
GS: Semmering 01,
3. DH: Lake Louise 00, Sta.Caterina 00, Lake Louise 02-I,
SG: Aspen 01,
GS: Crans Montana 92
4. DH: Veysonnaz 99
SG: Cortina 98-II,
GS: Cortina 93
5. DH: Cortina 99, Lenzerheide 01, Innsbruck 03,
SG: Maribor 99, Val d'Isere 01-II, Aspen 03,
6. SG: Mammoth 99,
DH: Lake Louise 02-II, 03-I,
GS: Soelden 99, Sierra Nevada 99,

 コリーヌ・レイ-ベレは1999年1月16日、サン・アントン(AUT)で行なわれた滑降とスーパーGの同日開催レースで連勝した。ワールドカップ初優勝が同日2連勝という快挙だった。低迷が続いていたスイス高速系の最初の成功である。

 コリーヌが1992年にワールドカップに参戦したときは大回転のスペシャリストだった。いきなりアルベールビル(FRA)オリンピックに抜擢されたが結果は大回転で17位と惨敗だった。以後コーチとの軋轢や怪我でトラブル続きのシーズンを送ることになる。

 1996年9月、オーストリアでトレーニング中に膝の靱帯を切る怪我を負った。この怪我からのリハビリが彼女に新しいモチベーションを与える結果になった。心理学者やチームメートのシルビア・ベルトーの助言が彼女を勇気づけた。

 1999シーズン、サン・アントン(AUT)で同日に行なわれた滑降とスーパーGでその両方に優勝した。これがコリーヌの初優勝だった。'00アルテンマークトの滑降、'01オーレ(SWE)のスーパーG、'02レンツェルハイド(SUI)の滑降とこれまで5勝を挙げ、2003年サン・モリッツ世界選手権では滑降で銀メダルを獲得した。

 「長年かかって初のメダルを獲得出来てほっとしています。この素晴らしい大観衆の熱意や夫の支援を得て自国開催の世界選手権ではベストを尽くしたレースをやろうと決意しました。今季の成績不振とかメディアの皆さんには悪評も受けていますがそれは放り出しておきました。そしてレースに専念すると決めたんです。マテリアルを変えたことは新しいモチベーションを生みました。よく支持してくれたディナスターには感謝しています。次の世界選手権?今は分かりません。この感激を噛みしめて春になったら今後のことを考えたいと思います」と語った。


2003年に引退した。
2006年4月30日、コレーヌ・レイ・ベレは射殺された
 スイスのスピード系スペシャリストで2003年に引退したコリーネ・レイ・ベレ(33歳)が2006年4月30日、スイス・バレイ州、レ・クロセットの母親の実家で、弟のアランとともに射殺された。5月1日、地元の警察が発表した。狙撃したのはプライベート・銀行家である夫のゲロルド・スタドラーだった。
 レイ・ベレはワールドカップで5勝(滑降3勝、スーパーG2勝)を挙げ、2003年、地元のサン・モリッツで開催されたアルペンスキー世界選手権滑降で銀メダルを獲得した。2003年のシーズン終了後、膝の傷害で現役を引退し、現在は物理療法者になるために訓練を受けていた。2003年11月に男の子をもうけ一児の母。

 射殺犯人の夫とは2週間前から別居していたという。スタドラーは狙撃後自分の車で現場から逃走、警察が追っていたが車がフランス国境の近くに乗り捨ててあったため国外に逃走したと思われた。だが、スタドラーは5月3日、レザンに向かう山中で遺体で発見された。自らピストル自殺をしたと思われる。スタルダーは軍隊の将校格で自分の拳銃を所持していた。

 重症の母親フレニーは現在病院の集中室で治療中で、容態はまだ安定せず、父親と別室で寝ていたため災難を免れた2歳のケビンは親戚やメンタルセラピストの保護を受けている。

 元コーチのマリー・テレーゼ・ナディツク、同僚であったソニャ・ネフ、シルビアンヌ・ベルトーたちはひどいショックを受けている。「コリーヌはレースやケガとの闘い、戦闘家としてピカ一だった。物事をポジティフに考え、常に前向きの姿勢で、弱音を吐くことはしなかった。プレスその他にも人当たりは非常に良く、そうした人間が家族関係のトラブルで射殺されるなんて、キチガイざた!」だと憤慨し痛く悲しんでいる。

 最近のスイス国内ではこうした事件が頻繁に起きている。ここ2年間で5つの家庭で父親による一家無理心中が起きている。銃器保持(兵役の銃は各自自宅に保管、27.2%の家庭が銃を所持している)の法律を急遽改正することも討議されている。

 最新のニュースではコリーヌは妊娠していたということだ。また殺された弟アランは婚約していて来週金曜日に結婚式の予定だった。まったく週刊誌にあるようなファミリーのドラマだが、鬱(うつ)病の爆発とか、日本人とは違ったものがスイスでは多くあるようだ。これまでの一家心中事件にしても、その詳しい原因とか、その後については新聞やテレビでは報道されることはあまりない。