KOSTELIC Janica (CRO)

1982年1月5日 Zagreb(CRO)生まれ
身長 174cm 体重 64kg
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SKI: Salomon
BOOTS: Salomon
BINDING: Salomon
WEAR: Mizuno


※2007年4月19日 引退
serreChevalier00 SL/1st Sestriere01 SL/1st
Serre Shevarier 2000. SL/ 1st Sestriere 01-I. SL/ 1st (クリック拡大)
ParkCity99 SL/3rd ParkCity01 SL/1st
Park City 99 SL/3rd Park City 01 SL/1st (クリック拡大)
2001 WCup Overall/Champ SaltLake OWG02 GS/1st
2001Champion, Hermann maier & Janica Kostelic Salt Lake 2002 GS/ 1st
St.Moritz WM03 Slalom/ 1st St.Moritz WM03 Janica & Ivica
Bormio/S.Caterina WM05 DH / 1st
Are 06 Final Slalom / 1st

2001 WCup/Champ
World Cup 01, Overall & SL Champ
SLC OWG 02 4 medals
World Cup 03, Overall & SL Champ
World Cup 06, Overall & SL Champ
World Cup Ranking
General
1998/-, 1999/11th, 2000/22nd, 2001/1st, 2002/14th, 2003/1st, 2004/-, 2005/2nd.
2006/1st.
Special
1999 DH/49th, SG/26th, GS/10th, SL/11th, SL/10th,
2000 DH/39th, SG/28th, GS/28th, SL/10th.
2001 DH/50th, SG/18th, GS/8th, SL/1st, K/1st
2002 DH/41st, SL/11th, GS/25th, SG/19th.
2003 DH/11th, SL/1st, GS/3rd, SG/'th.
2005 DH/4th, SL/2nd, GS/11th, SG/7th, K/1st.
2006 DH/4tn, SL/1st, GS/3rd, SG5th/, K/1st.
World Championships
1999 Vail DH/29th, SG/22nd, GS/DNF 1strun, SL/23rd, K/7th,
2001 St.Anton SL/5th.
2003 St. Moritz K/1st, SL/1st, GS/13th, SG/19th.
2005 Bormio/S.Caterina, K/1st, DH/1st, SL/1st.
Olympic Games
1998 Nagano DH/25th, SG/26th, GS/24th, K/8th.
2002 Salt Lake City K/1st, GS/1st, SL/1st, SG/2nd.
2006 Torino. K/1st, SG/2nd, SL/4th,
World Cup - 30 w. (1 DH, 1 SG, 20 SL, 2 GS, 6 K)
1. DH: Bad Kleinkirchheim 06-II,
SG: Bad Kleinkirchheim 06,
SL: Serre Shevarier 00, Sestriere 00, Park City 01, Aspen 01, Sestriere 01-I+II,
Semmering 01, Flachau 01, Ofterschwang 01, Garmisch 01, Falachau 02,
Park City 03, Lenzerheide 03, Semmering 03, Bormio 03, Are 03,
Aspen 05-I, Ofterschwang 06, Levi 06-I, Are 06,
GS: Spindleruv Mlyn 06, Are 06,
K : St.Anton 99, Haus/Flachau 01, Lenzerheide 03, Sansicario 05,
St.Moritz 06(SC), Hafjell 06(SC),
2. DH: Cortina 05-I, Sansicario 05,
SL: Aspen 03, Maribor 03, Semmering 05, Maribor 05, Lenzerheide 05, Aspen 06,
Spindleruv Mlyn 06, Maribor 06, Levi 06-II,
SG: Aspen 03,
GS: Semmering 03, Cortina 03, Soelden 06,
K: Saalbach 02,
3. DH: St. Moritz 06,
SL: Park City 99, St.Anton 99, Berchtesgaden 02, Altenmarkt 05, Lienz 06,
Zagreb 06,
GS: Park City 03, Aspen 05,
4. DH: Cortina 05-II, Lenzerheide 05, Bad Kleinkirchheim 06-I,
SG: Cortina 02, Are 05, Cortina 06, Are 06,
GS: Park City 99, Soelden 99, Serre Shevarier 00, Aspen 06,
SL: Copper Mtn. 00, Sestriere 03-Ko,
K : Veysonnaz 99,
5. DH: Santa Caterina 05-II, Val d'Isere 06,
SG: Cortina 99-II, 03-II, Lake Louise 05, Sansicario 05,
GS: Sestriere 01-I, Val d'Isere 03, Semmering 05,
6. DH: Lenzerheide 03,
SG: Lake Louise 00, Altenmarkt 05,
GS: Val d'Isere 99, Semmering 99, Are 03, Lienz 06, hafjell 06,

 1999年12月5日、セレ・シェバリエ(FRA)のスラロームで勝ったヤニツァ・コステリッチは1982年1月5日、クロアチアのザグレブ生まれ。ただ今17歳。スキーではマイナーなクロアチアのザグレブからきた選手だ。昨シーズン、16歳で衝撃的なワールドカップ・デビューを果たし、サン・アントン(AUT)のコンビで優勝したが、今回スペシャル種目のスラロームでも初優勝を果たした。コーチの父親とマネージャー、サービスマンのたった4人のチームだが、どでかいことをやってのけたわけである。

 彼女のサクセス・ストーリーもまた伝説的な、この世界の常識では考えられないような狂信的なものだった。クロアチアには競技スキーをする環境はない。金もない、バックアップもないのないないづくしの中で、父親アンテの特訓が行なわれた。古いバンに生活用具一式を積み込み、トレーニング環境を求めてスキー場を訪れた。ホテルに泊まる金はないから体育館の片隅や、リフト小屋でスリーピングバッグにくるまって寝た。食べ物は魚の缶詰と母親手製のソーセージ。父親のアンテは地方のカジノでギャンブルをして資金調達をした。彼女が6歳の時からこのような生活を続けてきたのだ。2歳年上の兄、イビツァとともに。そして10年後の'88シーズン、長野オリンピックでは5種目全てに出場し、コンビで8位に入賞し注目を浴びた。さらにゲルリッツェン(AUT)で行なわれたFISのスーパーGで優勝し、スイス選手権の滑降で優勝、またドイツ選手権のコンビでも優勝した。

 1998/1999シーズンの開幕戦、ソールデン(AUT)の大回転で54番スタートで12位に入って注目を浴び、本格的なオープンとなった北米シリーズでは、パーク・シティ(USA)の大回転で4位、続く回転で3位に食い込み周囲を驚かせた。シーズン後半は驚くほどやせ細りヴェイル(USA)世界選手権では成績を残せなかったが、今期は体調を取り戻して開幕以来好調を続けている。彼女のことを父親のアンテは「小さなそばかすやさん」と呼んでいるが、身長1m74、体重64キロと17歳にしては堂々たる体格をしている。

 1999/2000シーズンは全ての種目に出場し、セレ・シェバリエ(FRA)とセストリエール(ITA)の回転に連勝し、ワールドカップ総合のトップを走っていたが、サン・モリッツ(SUI)の滑降トレーニングで転倒、重傷を負いシーズンを終了した。

 コステリッチは1999/00シーズン、サン・モリッツ(SUI)の滑降トレーニングで大怪我を負った。再起不能とまで言われた大怪我だったが2000/01シーズン復帰してスラロームで勝ち進んだ。すべての種目に出場し、すべての種目でポイントを上げたが、スラロームでの8連勝は長く歴史に残る記録だ。サン・アントン世界選手権では過度のプレッシャーで敗退したが、ワールドカップが再開されるやガルミッシュ(GER)のスラロームで8勝目を上げた。オーレの最終戦に来る前、オーストリアのサルセで行なわれたクロアチア選手権のスラロームで大転倒し肩と腰を打って病院に運ばれた。ここでやめてもおかしくはない怪我だったが、総合優勝への執念がオーレへと向かわせた。滑降をキャンセルしスーパーG、大回転、回転に出場。成績は良くなかったが、2位のレナーテ・ゲッチル(AUT)の自滅が彼女のクリスタルカップ獲得を助けた。

 ヤニツァ・コステリッチ、このとき19歳。ティーンエージャーの総合優勝は、1971年にアンネマリー・プレル(AUT)が17歳11ヶ月、ミッシェル・ジャコ(FRA)が1970年に18歳2ヶ月、ミカエラ・フィジーニ(SUI)が1985年に18歳11ヶ月で獲得していて、彼女が4人目。

 2002・ソルトレーク・オリンピックのアルペンで最も光り輝いたのは、クロアチアのワンダーガール、若干20歳のヤニツァ・コステリッチである。金メダル3個、銀メダル1個というのはオリンピック・アルペンにコンバインドが採用されてからの新記録だ。

 スノーベーシンで行なわれた女子アルペン2種目目のコンバインドで金を獲得するや、その勢いをかって3種目目のスーパーGで銀、ディアバレーで行なわれた4種目目の回転で金、パーク・シティで行なわれた5種目目の大回転でこの種目初優勝で金と、まさに当たるところ敵なしの勢いでソルトレークを駆け抜けていった。昨年、サン・アントン(AUT)で行なわれた世界選手権でプレッシャーに負けて敗北したコステリッチの姿はどこにもない

 コステリッチは2000/01シーズンにワールドカップ総合と回転でクリスタルカップを獲得した後、痛めた膝、肩の手術を数回にわたって行ない、2002シーズンはそのために出遅れた。10月末の開幕戦と11月のアメリカシリーズをパスし、ピステに姿を現わしたのは12月9日、セストリエール(ITA)のスラロームからだった。このときは1本目38位という成績で2本目には残れず、続く12月16日、バルディゼール(FRA)の大回転では1本目に転倒して痛めていた肩をまたまた痛めてしまった。ワールドカップでは1勝も出来ず本来の調子を取り戻せないまま迎えたオリンピックであった。
 「ゴールドラツシュは何処から来たのか分かりませんが、とにかくオリンピックのメダルという夢の実現がこんなにかなったのは嬉しいことです。父母、コーチ、そしてチームのみんなに感謝しています」と、最終種目の大回転で今大会4個目のメダルを獲得した後でヤニツァ・コステリッチはにこやかに語った。

 ヤニツァ・コステリッチは2002/03シーズン、2度目の総合優勝を達成した。満身創痍でのクリスタルカップ獲得だった。1月4日、ボルミオの大回転で転倒して右膝を痛め、2月13日、世界選手権の大回転で右肩を痛めた。
 今季はスラロームで5勝、コンビで1勝のほか、全ての種目でポイントを上げ2度目の総合V、併せて種目別スラロームでも総合Vを達成した。獲得ポイントは1570ポイント。ボルミオの怪我がなければヘルマン・マイヤーが'00シーズンに獲得した2000ポイントオーバーの新記録を達成したであろう。世界選手権ではスラロームで金メダルを獲得、兄のイヴィツァ・コステリッチとともに同一種目同一大会兄妹優勝という偉業を成し遂げた。来期の目標は種目別のスーパーGと大回転で総合を狙うことだという。

 2004シーズンは一度もレースに出場することなくシーズンを終えた。4回に渡る膝の手術、加えて甲状腺疾患で療養、リハビリを余儀なくされた。次のシーズン万全の体調で出てくるかどうかは分からない。若くしてワールドカップ、世界選手権、オリンピックのすべてで金メダルを獲得した彼女に残っているのは、さらなる記録への挑戦だがそのモチベーションは如何に。
 2005シーズンはアニャ・パーションにわずか3ポイント差で総合タイトルを逃した。
 最終戦・レンツェルハイド、今シーズン最終レースの女子大回転。一つ前の回転が終わった時点でパーションは1359ポイント、ヤニツァは1324ポイント。その差35ポイント。このレース、パーションは18位で無得点。ヤニツァは8位で32ポイント。わずか3ポイント差でパーションに逃げ切られてしまった。
 2年前のチャンピオン、ヤニツァ・コステリッチは1年間のリハビリを経た後のシーズンだった。度重なる膝の手術、さらに甲状腺障害で1年間を棒に振り、満を持して臨んだ今シーズンはアスペン(USA)の回転とサン・シカリオ(ITA)のスーパー・コンビネーションの2勝のみ。他にパーションと同じ2位5回、3位2回で得た総合2位の座である。だが世界選手権では滑降、コンビ、回転で金メダルを獲得してしぶとさを見せた。ビッグイベントに賭ける意気込みが感じられた今シーズンだった。コステリッチは種目別のタイトルを一つも獲得出来なかったシーズンとなった。

 女子の総合優勝争いは最終戦のオーレまでもつれ込んだ。暫定トップを走るヤニツァ・コステリッチをディフェンディング・チャンピオンのアニャ・パーション(SWE・25歳)が追いかける展開が続いていたが、3月17日、オーレのスラロームで完勝してパーションを突き放した。コステリッチはこの勝利で種目別・スラロームのタイトルも併せて獲得した。

 コステリッチの今季はスラロームで3勝(レヴィ・1、オフターシュワング、オーレ)、大回転で2勝(スピンドレルブ・ムリン、オーレ)、スーパー・コンビで2勝(サン・モリッツ、ハーフィェル)、滑降で1勝(バド・クラインキルヒハイム)、スーパーGで1勝(バド・クラインキルヒハイム)、と計9勝を挙げ、1シーズンで全5種目に優勝した2人目のレーサーになった。ちなみにもう一人はオーストリアのペトラ・クロンベルガー(1990年)である。コステリッチはトリノ・オリンピックの女子コンビでも金メダルを獲得した。オリンピック4個目の金メダルである。

 ヤニツァ・コステリッチは今季総合で1970ポイントを獲得したが、これは1970年にペルニラ・ヴィーベリ(SWE)が獲得した1960ポイントを抜く新記録である。ヤニツァは来期は2000ポイントを獲得すると宣言した。今季は膝の怪我と持病の甲状腺疾患を抱えての戦いだったが、それが癒えれば可能なポイントだろう。

 2006年10月6日、クロアチアの首都・ザグレブで記者会見を行なったヤニツァ・コステリッチは、2006/07シーズンをパスすると発表した。

 2007年4月19日、引退を発表した。

Biorama Basel