 |
| HROVAT Urska (SLO) |
1974 年2月18日 Ljubljana 生まれ
170cm / 64kg
|
SKI: Rossignol
BOOTS: Rossignol
BINDING: Rossignol
2001年引退
|
 |
 |
| Park City 99 GS/5th |
Park City 99 SL/1st |
|
 |
World Cup Ranking
General
1992/58th, 1993/51st, 1994/10th,
1995/10th, 1996/14th,
1997/12th,
1998/9th, 1999/30th, 2000/53rd, 2001/47th.
Special
SL:1994/3rd, 1996/2nd, 1998/4th, 2001/17th.
World Championship
1996 Siera Nevada SL/3rd
1999 Vail SL/7th.
2001 St.Anton SL/10th.
Olympic Games
1992 Albertvill SL/10th.
1994 Lillehammer SL/8th, GS/20th,
SG/26th,
K/14th.
1998 Nagano GS/18th. SL/DNF.
World Cup - 5 w. (5 SL)
| 1. |
SL: |
Maribor 94-I, Meribel 95, Garmisch 96, Crans Montana 98,
Park City 99. |
| 2. |
SL: |
St.Anton 96, Veysonnaz 96, Maribor 97. |
| 3. |
SL: |
Sta.Caterina 94, Maribor 94-II, Bormio 95, Val d'Isere 98,
Lienz 98-I. |
| GS: |
Bormio 95. |
| 4. |
SL: |
Vemdalen 93, Vail 94, Maribor 95, Lienz 98-II, Saalbach 98,
Flachau 01. |
| GS: |
Maribor 95, 97. |
| 5. |
SL: |
Semmering 97-II, Are 98. |
| GS: |
Vail 95, park City 99, |
| P : |
Mammoth Mtn.98. |
| 6. |
SL: |
Maribor 92, Gringelwald 92, Morzine 94, maribor 96,
Lillehammer 96, Crans Montana 97, maribor 99,
Berchtesgaden 00, Striere 01-II. |
| GS: |
Park City 97, Zwiesel 97-I, |
|
|
ウルシュカ・フロバットに初めて会ったのは1990年の夏、ヒンタートックス(AUT)で行なわれていたユーゴチーム(当時・現在のスロベニアチーム)の、サマーキャンプを取材に行ったときだった。”ウラ(ウルシュカのニックネーム)”はまだ16歳で、茶目っ気たっぷりな元気いっぱいな活発な少女だった。たちの悪い日本人が、たちの悪い日本語を教えたと見えて、「これはどういう意味?」と、その場所にふさわしくないフレーズをいくつか聞いてきた。そんな言葉を連発されてはたまらないと、正確に教えてやったら、顔を赤くしてリフト乗り場に駆け下りていった。
そんな彼女がワールドカップに登場してきたのは92年のシーズンの開幕緒戦、バルゾルダーナ(ITA)のスラロームだった。幾分大人っぽくはなっていたが、まだ茶目っ気は残っていた。最後に近いゼッケンを付け、頼りなげにインスペクションをしていたが、レンズを向けるとにっこり笑って、ひらひらと手を振った。このときはよい成績は残せなかったが、この年マリボール(SLO)とグリンデルワルド(SUI)のスラロームで6位に入賞し、ルーキーにしてはさい先の良いスタートを切った。
彼女が初優勝を飾ったのはそれから2年後、94年のマリボールのスラロームだった。翌95年にメリベル(FRA)のスラローム、翌96年にはガルミッシュ(GER)のスラロームに勝ち、シエラ・ネバダ(SPA)で行なわれた世界選手権のスラロームで銅メダルを獲得した。長野オリンピックのスラローム。彼女は2本目、急斜面への入り口で失敗しコースアウト。傍目も憚らず大声を上げて泣いた。そして98年の最終戦、クラン・モンタナ(SUI)のスラロームに勝ち、ワールドカップ・スラローム総合4位の座を確保した。
勝っては泣き、負けては泣き、あのおてんばだった少女は情感豊かな大人の女に変身した。今、ワールドカップシーンの中で一番のいい女は誰かと聞かれたら、ためらうことなく”ウラ”の名をあげる。だが最近、あまりにもしっとりしすぎて、あの16歳の時のような溌剌さがなくなった。コースで会っても手をひらひらと振ることはなくなったし、町で会っても単に挨拶を交わすだけになった。思うにあの時、放送禁止用語の意味を聞かれたとき、「附子」とか「吝嗇」とか、当たり障りのないことを答えておけば良かったと、今では後悔している。
フロバットの98/99シーズンは序盤、パーク・シティ(USA)のスラロームで優勝し調子の良いスタートを切ったが、世界選手権を迎える頃から調子を落とし不本意なシーズンとなった。この世界選手権ではスラロームで7位の成績を残すにとどまった。
ウルシュカ・フロバットは1974年、スロベニアの首都リュブリアナ生まれの25歳('99年)。裕福な家庭に育ち父親はオートバイレースの選手だった。妹のハンナはテニスでスロベニアのトップ・プレーヤーである。ウルシュカ自身も子供の頃、テニスを選ぶかスキーを選ぶかで悩んだが、スキーを選んで成功した。元スウェーデンチームのレーサー、トビアス・ヘルマンが彼女のボーイフレンドであり良きアドバイザーである。
フロバットは2001シーズンをもって引退した。 |
|
|
|