TOMBA Alberto (ITA) Web:
1966年12月19日 Lazzaro di Savenna(ITA) 生まれ
身長 182cm 体重 90kg

SKI: Rossignol
BOOTS: Lange
BINDING: Look


※1998年10月3日引退

Calgary OWG 88 SL/Gord
Sierra Nevada WM 96 SL/Gold
Sestriere88 SL/1st Kitabuhel92 SL/1st
1987,Nov,27 Sestriere SL/1st Kitzbuhel 92 SL/1st (↑クリック拡大)
Are93 SL
Are 93 SL/2nd (↑クリック拡大) Lech 95 SL/1st
Schladming98 SL/1st CransMontana98 SL/1st
Schladming 98 Night SL/1st Crans Montana 98 SL/Last Win


1998年3月、クラン・モンタナ(SUI)最終戦。最後の50勝目を上げたトンバ。本人は51勝だとアッピールしている。担いでいるのはヤーゲとブロース。
World Cup Ranking
General

1986/51st, 1987/15th, 1988/2th, 1989/3rd, 1990/9th, 1991/2nd, 1992/2nd,
1993/5th, 1994/3rd, 1995/1st, 1996/5th, 1997/25th, 1998/14th.
Special
1988 SL/1st, GS/1st, 1989SL/2nd, 1990 SL/2nd, 1991 GS/1st,
1992 SL/1st, GS/1st, 1993 SL/2nd, GS/2nd, 1994 SL/1st,
1995 SL/1st, GS/1st, 1996 SL/2nd, GS/8th. 1997 SL/5th. 1998 SL/7th, GS/13th.
World Championships
1987 Crans Montana GS/3rd, SG/14th.
1989 Vail GS/7th, SG/6th.
1991 Saalbach SL/4th, SG/DNF.
1993 Morioka GS/DNF, SL/DNS.
1996 Sierra Nevada SL/1st, GS/1st.
1997 Sestriere SL/3rd.
OlympicGames
1988 Calgary SL/1st, GS/1st.
1992 Albertvill SL/2nd, GS/1st.
1994 Lillehammer SL/2nd.
1998 Nagano SL/DNF, GS/DNF.
World Cup -50 w. (35 SL. 15 GS)
1. SL: Sestriere 88, 91, 92, 95, 95. Madonna di Campiglio 88, 89, 96,
Kranjska Gora 88, 92, 96. Bad Kleinkirchheim 88, Are 88, Oppdal 88.
Watervill 90, Geilo 90, Saelen 90, Park City 92, Kitzbuhel 92, 95,
Wengen 92, 95, Crans Montana 92, Garmisch 93, 94, 95,
Stoneham 94, Chamonix 94, Tignes 95, Lech 95 I,II, Flachau 96,
Schladming 97, 98, Crans Montana 98.
1. GS: Sestriere 88, Alta Badia 88, 91, 92, 95, Saas Fee 88,
Kranjska Gora 91, 95, Lillehammer 91, Aspen 91, Watervill 91,
Park City 92, Crans Montana 92, Adelboden 95, Bormio 95

 1987年11月27日、セストリエールのスラロームで初優勝を上げて以来、引退する1998年までの10年間、ワールドカップの主役は常にアルベルト・トンバだった。<トンバ・ラ・ボンバ>爆弾トンバと呼ばれ、10年間で50勝を上げた。良きにつけ悪しきにつけこの10年間はトンバを抜きにしてはワールドカップはあり得なかった。スキー離れした観客をゴールサイドに呼び戻したのもトンバだったし、賞金制度の確立や、プライベートチーム、個々のスポンサー制度の確立もトンバの力によるところが大きい。ワールドカップ、オリンピック、世界選手権と、あらゆるタイトルを手中にしてもトンバはアルペンレーサーのトンバであり続けようとした。トンバは放蕩・無頼のカリスマだ。

 ワールドカップにデビューして3シーズン目の87/88シーズン、ワールドカップで9勝、カルガリー・オリンピックで2勝、計11勝を上げ、一気にスーパースターの座を不動のものにした。当時の雪不足も手伝ってスキースポーツの不振が叫ばれていたのが、トンバの出現により、再び人気を取り戻した。トンバが出場していないときでもアナウンサーはトンバの名を絶叫したものである。そして1995年、グスタボ・トエニ以来20年ぶりに総合優勝の大クリスタル・トロフィーをイタリアに持ち帰った。縁がないと云われていた世界選手権でも、'96年シエラ・ネバダで回転、大回転の2種目で金メダルを獲得した。

 アルベルト・トンバが最も充実したシーズンは1994/95シーズンである。このシーズン、トンバは回転と大回転の技術系種目のみで総合優勝を達成したが、これはあのインゲマル・ステンマルク(SWE)以来16年ぶりのことである。今まではオールラウンダーでなければ不可能とされてきた総合タイトル争いに逆行しているかに見える。しかし高速系レースの相次ぐ中止、変更が技術系レーサーに有利に働いたと見るべきだろう。

 ワールドカップ参戦10シーズン目にして初めて総合タイトルを獲得したアルベルト・トンバ。グスタボ・トエニ以来20年ぶりにイタリアに大クリスタル・トロフィーをもたらしたが、そのトエニはトンバのテクニカル面での専任コーチである。トンバはコンディショナル・トレーナーやドクター、マネージャーなど総勢7人でプライベートチームを作っているが、この方式で成功したのはトンバだけである。2、3年前までは一種のブームのようにプライベートチームが誕生したが、トレーニング環境(とくに高速系)が思うように得られずに皆チームに戻っていった。

 トンバが成功したのは彼が技術系のスペシャリストであったからだ。そしてその7人が十分食べていけるだけのスポンサーを一人で集めることの出来るキャラクターの持ち主でもある。皮肉な見方をすればトンバはレースをやめることは出来ない。その7人が食っていくためにはトンバは絶え間なく稼がなければいけないのだ。トンバ自身が「トンバ商会」の社長であり目玉商品なのである。

 一見天衣無縫、豪放磊落のように見られがちなトンバのパフォーマンスも、すべてはマネージャーのロベルト・ブルンナーの指図によるところが大きい。単独インタビューではむしろナイーブさの方が目立つトンバなのだ。このナイーブさは彼が他の多くのレーサーたちとは違って、雪国ではなくボローニャという都会のお坊ちゃん育ちであるという、生い立ちに寄るところが大きい。裕福な家庭に育ったトンバには「故郷に錦を飾る」といった使命感や、「環境から抜け出して一旗揚げる」といった悲壮感はかけらもない。成功した選手のほとんどは「環境から抜け出したかった」という。スキーの場合もハングリーは十分にモチベーションたり得るのである。

 だがトンバは貧乏から抜け出す必要はなかった。トンバにとってのスキーは、夜ごとディスコに出かけて女の子を引っかけたり、スポーツカーをぶっ飛ばして逮捕されたりといった、金持ちの都会っ子と同じレベルの遊びでしかなかった。コルチナやアペニン山脈にある別荘に出かけてスキーを楽しむといった程度のスキーだったのである。

 トンバが本格的に競技スキーのトレーニングを開始したのは17歳になってからである。それも遊びで参加したパラレルレースに勝ったのがキッカケであった。彼を最初に見いだしたのは、しばらくトンバのマネージャーを務めたマルキ(侯爵)と呼ばれた男だが、たまたまマルキがそのレースを見ていなかったならばあのアルベルト・トンバはなかった。

 トンバが「ラ・ボンバ(爆弾)」と呼ばれるようになったのはデビューして3シーズン目の1987/88シーズンからだが、今季のトンバはあの年以上に充実していた。'88年はワールドカップで9勝(SL6、GS3)を上げ、カルガリー・オリンピックで2個の金メダル(SL、GS)を獲得した。今季のトンバは回転7勝、大回転4勝の計11勝を上げた。この記録はあのステンマルクの1シーズン13勝の記録に次ぐものである。

 総合タイトルを取るチャンスはこれまでに何度もあったが、常にオールラウンダーのピルミン・ツルブリッゲン(SUI)やパウリ・アッコーラ(SUI)、マーク・ジラルデリ(LUX)、シェティール・アンドレ・オーモット(NOR)らにしてやられてきた。だが今季のトンバは最初から勢いが違っていた。彼のテクニックは群を抜いていた。「誰がトンバを破るか」ではなく「2位に誰が入るか」という次元で語られていた。まさにステンマルク全盛時代を彷彿とさせる勢いだった。早くも世界選手権前のウェンゲンの時点で総合タイトルを確定的してしまったのである。

 その勢いで絶好調で臨むはずだった世界選手権は雪不足のために中止になり1年延期になった。トンバは他の誰よりも早くシエラ・ネバダに乗り込んでトレーニングに励んでいた。富良野で破れたのはそのとき“切れた”状態がまだ続いていたからである。

 翌1996年、1年遅れで開催されたシエラ・ネバダ(SPA)世界選手権で、トンバは大回転と回転の2冠を達成し、「世界選手権と日本では勝てない」というジンクスの一方を解消した。

 アルペンのあらゆるタイトルを手中にしたトンバは1998年10月3日、引退を表明した。トンバ自身のコメントは「スポーツの世界から身を引く」という、派手好きのトンバにして珍しくシンプルなものだった。ファンファーレが鳴り響くわけでもなく、大々的な引退セレモニーを行なったというわけでもない。モチベーションがなくなった、というのがその理由である。
 カリスマ的なスーパースターとして10年間、アルペンスキーの世界に君臨してきたトンバも、若手の追い上げや体力的な限界には為すすべはなかった。1998年3月、クラン・モンタナ(SUI)の最終戦スラロームで、ステンマルクに次ぐ歴代2位の50勝目を上げたのが最後の花道になった。

 ピステ以外でも色々な事件を巻き起こしたトンバ。スーパーでの万引き事件、アメリカでのスピード違反事件、カメラマンに優勝トロフィーを投げつけて大怪我を負わせた事件、巨額の脱税事件等々、元ポリスマンらしからぬ事件で世を賑わした。彼には彼の言い分があるのだろうが、誰もそんなものに耳を傾けない。それがスーパースターの宿命というものなのだろう。
 トンバがポリスだったというのはカラビニエリ(ミリタリーポリス)のことで一般的な意味での警察ではない。トンバは金メダルを獲得するなどの功績ですでに准尉の位を得ている

 今後は映画スターへの転身もほのめかしているが、トンバ自身はすでにイタリアのテレビ映画に出演していて、役どころは元警官の主人公が活躍するアクションものと言うことである。まさにぴったりの役というところか。