RADICI Fausto (ITA)
1953年9月14日 Bergamo生まれ
身長 170cm 体重 65kg

SKI:Rossignol

※1978年引退

Garmischy75 SL/3rd Garmisch76 SL/1st
Garmisch 75 SL/3rd Garmisch 76 SL/1st
Kitzbuhel76 SL CopperMtn.76 SL/5th
Kitzbuhel 76 SL Copper Mtn.76 SL/5th.

RadicFace World Cup Ranking
General

1974/14th, 1975/15th, 1976/15th, 1977/17th, 1978/27th.
Special
1976 SL/5th, 1977 SL/7th, 1978 SL/7th.
World Cup
1. SL: Garmisch Partenkirchen 76. Madonna di Campiglio 77.
2. SL: Wengen 74,
3. SL: Madonna 75, Garmisch 75,
4. SL: Vipiteno 74, Vipiteno 76, Wengen 78,
P : Val Gardena 75, Mt.St.Anne 76,
5. SL: Garmisch 74, Voss 74, Schladming 76, Copper Mtn.76, Laax 77,
Wengen 77, Furano 77,
6. SL: Madonna 78
7. SL: Naeba 75, Kitzbuhel 77, Berchtesgaden 77, Oberstaufen 78.
8. GS: Morzine 76.
SL: Chamonix 75.
9. GS: Adelboden 77.
10. GS: val d'Isere 74, Adelboden 74,
SL: Sun Valley 75, 77, Kitzbuhel 78.

 ファウスト・ラディチは1953年9月14日、イタリアはミラノの近く、ベルガモで生まれた。この日はイタリアのファウスト・コピが自転車レースで世界チャンピオンなった日であり、その名をとってファウストと名付けられた。

 子供のときから天才的なスキーさばきを見せ、チャンピオニッシモ(最も偉大なチャンピオン)というニックネームで呼ばれていが、11歳のときに悪性腫瘍のため左目の摘出手術を受け、片目になった。しかしスキーをあきらめることはなかった。1m70p、65s。肉体的には外のレーサーよりは劣っているが、マリオ・コテリ監督の言葉を借りるなら「彼はイタリアチームの精神的リーダー」であった。

 73年ヨーロッパカップで総合優勝(回転総合1位、大回転総合3位)してナショナルチーム入りをし、74年から78年までの5シーズン、ワールドカップを戦って回転で2回優勝した。片目義眼にもかかわらず、当時全盛を誇ったトエニ、グロスと並んでイタリアスラロームトリオの一角を形成していたのは立派だった。ここにいたるまでに費やしたエネルギーと時間の量を考えると頭が下がる思いがする。陽気でいつもはしゃいでいるところが人気のあったゆえんだ。

 76年1月4日、ガルミッシュ(西ドイツ=当時)。暗い陰鬱な雰囲気をもつオリンピア・スキースタディオンで、悪天候をついて行なわれた回転は、冷静で頭脳的なプレイをしたファウスト・ラディチが優勝した。ラディチは、すでにヨーロッパカップでの活躍やワールドカップでの素晴らしい成績で無名ではなかったがワールドカップでの勝ち星はこれまでなかった。チームメイトに抱えられ、栄光の称賛を受けるラディチは、なぜかうつむいていた。取り囲む報道陣にも答えず、じっと電光掲示板を見つめていた。震える心を押さえるように、顔では笑っていても、右目は潤んでいた。レースでは勝つ以外に自分の存在を証明する方法はない。左眼のないラディチのハンデを人がかばってくれるはずもなかった。ラディチは常に「スラロームはポールを見て滑るのではない。スキーでコースを感じ取るのだ」と言い続け、そしてトップレーサーになった。

 華やかな表彰式のあとラディチはゴールの柵の陰に座り込んだ。よれよれの黄色いヤッケを頭からかぶり、何かをかみしめるようにじっとうつむいて動かない。サインを待ち、取り囲んだファンもただ見つめるだけだ。そこには、勝負の栄光と同時に、ある種の悲惨さがあった。

 '70年代後半にイタリアの「青の軍団」の一員として、グスタボ・トエニ、ピエロ・グロスなどともにスラロームシーンで活躍したファウスト・ラディッチが、2002年4月13日死亡しているのが発見された。
 碧眼のレーサーとして注目を浴び'76年にガルミッシュ(GER)、'77年にマドンナ・ディ・カンピリオ(ITA)で優勝し、'78年に引退した。二人の子供にも恵まれ、ボルミオの近くのレグネアに住んでいたが、4月13日の夜中にベッドで死んでいるのが発見された。
 警官の発表によると頭部に銃弾を受けていてそれが致命傷になったとのことである。49歳だった。