MILLER Bode (USA) Web:
1977年10月12日 Easton, NH 生まれ
Hometown: Bretton Woods, NH
身長 187cm 体重 87kg

SKI: Head
BOOTS:
Head
BINDING:
Tyrolia

AltaBadia00 GS Solden01 GS
Alta Badia 2000 GS Soelden 2001 GS/5th
Valdisere01 GS/1st Madonna01 SL/1st
Val d'Isere 2001 GS/1st Madonna di Campiglio 2001 SL/1st
saltLake OWG02 K/2nd saltLake OWG02 GS/2nd
Salt Lake 2002 Combined/ 2nd Salt Lake 2002 Giant Slalom/ 2nd
AltaBadia03 GS/1st KranjskaGora03 GS/1st
Alta Badia 03 GS/ 1st Kranjska Gora 03 GS/ 1st
StMoritz WM03 GS/1st
St.Moritz WM03 GS/ 1st
Bormio WM05 Super-G / 1st

MillerFace
2003 WM GS, K/1st

2005 Overall Champ.
World Cup Ranking
General

1998/95th, 1999/38th, 2000/90th, 2001/40th, 2002/4th, 2003/2nd, 2004/4th, 2005/1st,
2006/3rd, 2007/4th,
Special
2001 GS/15th, SG/34th: DH/55th.
2002 SL/2nd, GS/7th.
2003 DH/13th, SG/12th, GS/2nd, SL/17th.
2004 GS/1st, K/1st, SL/5th, DH/23rd, SG/25th.
2005 SG/1st, DH/2nd, GS/2nd, SL/15th.
2006 DH/5th, SL/32nd, GS/9th, SG/10th, K/2nd.
2007 SG/1st, GS/6th, DH/8th, SL/55th, K/28th.
World Championship
1999 Vail SG/26th, GS/18th, SL/8th.
2001 St.Anton SG/DNF,
2003 St.Moritz SG/2nd, K/1st,GS/1st. SL/6th.
2005 Bormio, SG/1st, DH/1st, GS/DNF, SL/DNF, K/DNF.
2007 Are. SL/DNF, GS/15th, DH/7th, SC/6th, SG/24th.
Olympic Games
1998 Nagano. SL/DNF.
2002 Salt Lake City. K/2nd, GS/2nd, SL/25th.
2006 Torino. DH/5th, K/DNF, GS/6th,
World Cup 25.w ( 4 DH, 5 SG, 9 GS, 5 SL, 2 K)

1. DH: Lake Louise 05, Beaver Creek 05, 07, Wengen 07,
SG: Lake Louise 05, Lenzerheide 05, Are 06, Val Gardena 07, Hinterstoder 07,
GS: Val d'Isere 02, Alta Badia 03, Kranjska Gora 03, Soelden 04, Park City 04,
Kranjska Gora 04, Soelden 05, Val d'Isere 05, Beaver Creek 06,
SL: Madonna di Campiglio 02, Adelboden 02, Schladming 02, St.Anton 04,
Sestriere 05,
K: Chamonix 04, Kitzbuhel 04,
2. DH: Beaver Vreek 06, Are 06,
SG: Beaver Creek 05,
GS: Val d'Isere 03, Adelboden 05, Soelden 06, Alta Badia 07, Lenzerheide 07,
SL: Aspen 02-II, Flachau 02, Bormio 03, Adelboden 04,
K: Wengen 03, Kitzbuhel 06,
3. DH: Wengen 03, 05, Garmisch 05-I,
GS: Val d'Isere 01-II, Yong Pyong 03, Alta Badia 04-II, Flachau 05,
SL: Chamonix 04,
K : Wengen 02, 03, Val d'Isere 06(SC), Chamonix 06(SC),
4. DH: Val d'Isere 05, Garmisch 05-II, Kitzbuhel 06, Bormio 07,
SG: Val Gardena 05, Lenzerheide 07,
GS: Alta Badia 04-I, Hinterstoder 07,
SL: Wengen 99, Ofterschwang 99, Kitzbuhel 04, Schladming 04,
5. DH: Bormio 03-I,
SG: Kitzbuhel 05,
GS: Soelden 02, 03
K: Kitzbuhel 03,
6. DH: Wengen 03-I
SG: Beaver Creek 03, Val Gardena 03,
GS: Val d'Isere 01-II, Lillehammer 03,
SL: Wengen 02, Yongpyong 03, Lenzerheide 05,
7. DH: Lake Louise 03, Kitzbuhel 04-I, Val d'Isere 06,
SG: Lake Louise 03, Kvitfjell 07,
SL: Sestriere 04,
8. DH: Beaver Creek 03, Bormio 03-II, Kitzbuhel 03, St.Anton 04, Chamonix 05,
Val Gardena 06,
SG: Val gardena 06,
GS: Park City 99, Adelboden 99, Les Arcs 01,
SL: Wengen 06,
9. DH: Bormio 06, Lenzerheide 07,
10. GS: Park City 01,

 アメリカは2002年ソルトレーク・オリンピックを見据えて新人の強化に真剣に取り組んだ。ミラーもその中の一人で'98シーズンはUS選手権大回転優勝、その他ノル・アム3勝の実績でワールドカップに投入された。はじめメーア兄弟が使用して一世を風靡したK2スキーを使用していたが、2001シーズンからフィッシャーを使用するようになった。

 ついに2001年12月9日、バルディゼールの大回転で初優勝をあげた。翌10日、マドンナ・ディ・カンピリオ(ITA)で行なわれたナイター・スラロームでも優勝した。2002シーズンはスラロームで3勝を上げ種目別ランキングで2位を確保した。期待されたソルトレーク・オリンピックはコンビと大回転で銀メダルを獲得したが、もっとも得意とするスラロームではイージーミスで25位と不甲斐ない成績に終わった。2003シーズンからスキーをロシニョールに変えた。

 2003シーズンはサン・モリッツ(SUI)の世界選手権でコンビと大回転で金メダル、スーパーGで銀メダルを獲得した。ワールドカップでは終盤までステファン・エバハルター(AUT)と総合優勝を争ったが、最後に息切れ、2位に甘んじた。種目別でも大回転の総合優勝のチャンスがあったがこれも最後に息切れ、ミハエル・フォン・グリュニゲン(SUI)の後塵を拝した。高速系で成績が上がった反面、スラロームでは昨年のような覇気は見られずに1勝も上げることは出来なかった。

 ボーディの滑りは一見荒削りでまとまりがなく、アンバランスで安定性に欠ける。アレでどうして速いのか、他の、例えばミハエル・フォン・グリュニゲン(SUI)などに比べると美しくない、という意見がよく聞かれる。この意見についてボーディ・ミラーは、記者の質問に幾分むっとした口調で「スキーはタイムレースだ。他人よりも速ければそれで良いんだ。どうすればもっと速く滑れるか、そのことだけを考えて滑っている。フォームについて言うならば誰一人同じ奴はいない。ただ自分についてそういうことを言われると言うことは、それだけ関心を持ってくれている人がいるということで、それは嬉しいことだ」と答えている。

 2004シーズン、ボーディ・ミラーが大回転で開幕戦のソールデンとパーク・シティで連勝したときは、今季の総合優勝はボーディで決まりという雰囲気があった。だがその後ぱったりと勝てなくなった。ウェンゲンとキッツビューエルのコンビでの2勝はあったが、スラロームではサン・アントンでの1勝、大回転でもクラニスカ・ゴラで1勝を加えたのみでシーズンを終えた。最終戦・セストリエールの大回転がキャンセルになったためにかろうじてこの種目の総合タイトルを死守したが、不甲斐ないシーズンを過ごしたと云わざるを得ない。だが最後まで総合優勝争いに荷担していたのは力のある証拠だが、ボーディ・ミラーの力からすれば不本意なシーズンだった。
 「ボーディ・ミラー潰し」とでも言えそうな集中砲火があったのも事実だ。これによって得をしたのはベンジャミン・ライヒとカレ・パランダーだが、ボーディはじっと耐えた。ボーディはシーズン途中でそれに対応するテクニックの調整を行なうほどの知性と応用力の持ち主でもあるのだ。大回転のみではなく、フィル・メーア以来の総合優勝獲得はUSチームの悲願でもある。ボーディの来季に期待しよう。
 「ワールドカップのGSタイトルを取ることは私がスキーレースを始めてからの夢の一つだった。今日のレースは少し拍子抜けのしたものだったが、今日は疲れているなと感じていた。総合優勝を取るために私はまだ戦う」と、セストリエール最終戦でGSのタイトルを取った後の記者会見で語った。
 2004年5月4日、スキーをロシニョールからアトミックに変えたことが発表になった。

 大クリスタルグローブが22年ぶりに大西洋を渡った。2005年3月12日、レンツェルハイド(SUI)で行なわれた今季ワールドカップ最終戦の大回転、2位に入ったボーディ・ミラーは追いすがるベンジャミン・ライヒ(AUT)を振り切り、初の総合優勝の大クリスタル・トロフィーを手中にした。フィル・メーアが1981-83年と3年連続で総合タイトルを獲得して以来のアメリカの総合タイトル獲得である。

 ミラーは今季7勝を挙げ、1シーズンで滑降、回転、大回転、スーパーGの4種目に勝利を挙げた2人目の男になった(ちなみにマーク・ジラルデリ=LUX=は1989年にコンビを含む五種目に勝利を挙げている)。

 2004年10月24日、ソールデン(AUT)で行なわれた今季ワールドカップ開幕戦の大回転で優勝し華々しいスタートを切ったミラーは、その後一度も総合トップの座を明け渡すことなくシーズンを走りきった。本格的なシーズン・インとなった北米シリーズでは、レーク・ルイーズ(CAN)の滑降、スーパーGに連勝し、続くビーバー・クリーク(USA)でも滑降に勝ち、ヨーロッパに舞台を移した後はバル・ディゼール(FRA)の大回転、セストリエール(ITA)の回転にも勝って、1シーズン4種目完全制覇の偉業を成し遂げ、12月半ばには独走態勢に入ったのである。昨年までのボーディ・ミラーならば、後半に息切れしてずるずると後退していくというのがパターンだったが、今季は最後までモチベーションが途絶えることはなかった。優勝7回の他に2位4回、3位3回で得た総合優勝である。

 ボーディ・ミラーに死角がなかったわけではない。今季ワールドカップ7勝の内、6勝は12月前半までに挙げたもので、7勝目は最終戦レンツェルハイドのスーパーGで挙げたものだ。その間ワールドカップでは3ヶ月間も表彰台の中央には立っていない。だが回転以外では着実に上位入賞を果たしポイントを積み重ねた。元々技術系でスタートしたミラーだったが今季は大回転、回転では1勝づつしか挙げていない。とくに回転はセストリエールで挙げた1勝の他は完走すら出来なかった。最終戦のレンツェルハイドで2本目にベストタイムをマークして6位に入ったのが今季2回目の完走である。

 今季完全にオールラウンダーとして定着したボーディ・ミラーだが、高速系に格段の進歩を見せた反面、技術系では取りこぼしが目立った。同じマテリアルを使用する他の選手たちの活躍を見ても、マテリアルに問題があったとは考えられない。「成功もあれば失敗もある。成功すれば勝てるし、失敗すれば負ける。目標をしっかりとらえ突き進むだけだ。ワールドカップでは二つの目標を掲げた。総合優勝することと、種目別のタイトルを一つは取ることだ。両方達成出来た。世界選手権でも金メダルを取れたしね」とミラーは語ったが、来季に関してはまだはっきりしたことは口にしていない。ボルミオ世界選手権では滑降とスーパーGで金メダル、あとの3種目はすべて途中棄権でノーゴールという過激なレースを展開した。

 2005/2006シーズンはスーパーGと大回転で1勝ずつという不甲斐ないシーズンを過ごした。ワールドカップ総合は3位に終わった。期待されて臨んだトリノ・オリンピックでは滑降で5位、大回転では6位と入賞は果たしたがメダルなしに終わった。シーズン当初からドーピング問題でFISにたてつき、飲酒レース問題で物議を醸した。主要なスポンサーだったバリラからはついに契約を打ち切られてしまった。バリラ側はそれだけが問題ではないと言っているが、子供達に与える影響を考えると致し方ないか、というのが大方の見方である。また契約期限切れでアトミックから離れ、ヘッドチームでこれからの2年間を戦う。
 2007シーズンは滑降とスーパーGで2勝ずつの計4勝を挙げ、ワールドカップ通算25勝とし、アメリカ人としてはフィル・メーアの持つ通算27勝にあと二つと迫った。今季は総合で4位、種目別スーパーGで総合タイトルを獲得した。
 最終戦のレンツェルハイド(SUI)で、種目別のタイトルを獲得したあとの談話
 「ダウンヒルではないから勝たなければならないというリスクをかけずに、リズミカルにレースをやった。コースセットがそうだったんだ。スーパーGのトロフィーはこれで2回目、前回とは異なった感激もある。シーズン初めにはスピード系のトレーニングを多くやっていた。今季自分のスラロームは実にひどい結果だった。なぜだか自分でも不可解なことで説明できない(困ったように笑った)」。
 この記者会見で「来季にはスキーを変える予定だ、どの板になるかはまだ発表は出来ない」という爆弾発言があったが4月末現在では発表になっていない。
 また、「今季限りで引退するという発言がシーズン初めにあったが」という記者の質問には、「まだ、はっきり決めていないんだ」と煮え切らない返事だった。じゃ来シーズンもまたお会いしましょうということでケリ。

 このあと5月12日に、アメリカチームから離脱するという発表があり、連盟もこれを了承した。チーム全員が同じ行動を強いられる団体生活にたいする不快感、モーターホーム生活を禁止されたことにたいするトラウマがチームからの独立を決意させた。今後どのような方法でレースを続けるかはこれからの問題である。スポンサーとの関係は良好だとの発言もある。

Biorama Basel