SKI&SKI Top
MATT Mario (AUT) Web
1979年4月9日 Flirsch-St.Anton (AUT) 生まれ
身長 194cm / 体重 88kg
Club: Skiklub Arlberg (Tirol)

SKI: Fischer
BOOTS: Nordica
BINDING: Fischer

kitzbuhel00 SL/1st Madonna01 SL/1st
Kitzbuhel 2000 SL/ 1st Madonna di campiglio 01. SL/ 1st
Stanton WM01 SL/Podio Stanton WM01 SL/1st
St.Anton WM 01 Slalom Podium St.Anton WM01 SL/ 1st  (↑クリック拡大)
St. Anton 04 SL / 3rd Kranjska Gora 04 SL/ 3rd
Lenzelheide 05 Final Slalom/ 1st
Are (SWE) World Championships Men's Slalom Gold

MattKitzbuhelPodio World Cup Ranking
Genaral
2000/23rd, 2001/17th, 2002/29th, 2003/91st, 2004/23rd, 2005/29th, 2006/36th, 2007/5th,
Special
2000 SL/4th, 2001 SL/3rd, 2002 SL/8th, GS/37th. 2003 SL/35th. 2004 SL/6th.
2005 SL/6th. 2006 SL/16th, GS/23rd. 2007 SL/2nd, GS/25th, K/11th.
World Championships
2001 St.Anton SL/1st, K/2nd.
2003 St.Moritz SL/DNF.
2005 Bormio. K/11th, SL/DNF.
2007 Are. SL/1st
World Cup - 8 w. ( 6 SL, 2 K)
1. SL: Kitzbuhel 00, Schladming 00, Madonna di Campigrio 01, Aspen 02-II,
Lenzerheide 05, Garmisch 07, Kranjska Gora 07,
K: Wengen 07(SC)
2. SL: Park City 01, Are 01, Kranjska Gora 02, Kitzbuhel 05, 07-I+II, Lenzerheide 07,
3. SL: Adelboden 00, Yong Pyong 2000, Wengen 01, Aspen 02-I, St.Anton 04,
Kranjska Gora 04, Adelboden 07, Schladming 07,
4. SL: Todtnau 00, Shigakogen 01-II, Adelboden 04, Beaver Crek 06,
5. SL: Flachau 05,
6. SL: Wengen 04, Kitzbuhel 04, Sestriere 04, Chamonix 05, Are 06,
7. SL: Shigakogen 01-I,
9. SL: Beaver Creek 05,

 2000年1月23日、キッツビューエル(AUT)、クラシックレースのハーネンカム・スラローム1本目。スタートゼッケン47番のマリオ・マットが、かつてのスキーギムナジウムの同級生、ベンジャミン・ライヒ(AUT)に0.22秒遅れの2位に付けたとき2万人の観衆は驚きの歓声を上げた。ライヒの完成されたスラロームに比べ、身長188センチのマリオが176cmの短いスキーで、しかも荒れたコースに挑む滑りはいかにも荒削りだ。だがサロモンのサービスマンは「今日はマリオが勝つ」と断言した。
 2本目、この20歳のニュー・カマーは並み居るベテランを後目に堂々のベストタイムをマークして完璧な初優勝を飾った。47番スタートでの優勝はワールドカップ・スラロームでは初めてのことである。過去には18歳だったピエロ・グロス(ITA)が1972年にマドンナ・ディ・カンピリオ(ITA)の回転で42番スタートから初優勝を上げている。

 ここまではヨーロッパカップ・チームの所属でワールドカップはクラニスカ・ゴラ(SLO)、ウェンゲン(SUI)、そしてキッツビューエルとこれが3回目。
 「クラニスカ・ゴラは17位、ウェンゲンは1本目10位のラップでしたが2本目でコースアウトしてしまった。ここキッツで再び出場の機会を貰って20番以内が目標でしたから自分でもまったく信じられない。2本目は確かにナーバスになっていました。でも真面目にいいスキーをやれば上位に入れるだろうと自分に言い聞かせ、自信を持って滑りました」。はにかみながら記者のインタビューに答えた初々しいマットだった。

 「2歳半で初めてスキーを履きました。家の前にベビーリフトがあってそれで1日中遊んでいました。両親はペンションとアパートを経営していて、忙しいのであまりかまって貰えなかった。子供のレースに出ているうちにレースに興味を持つようになり、やがてチロルの地域スキークラブで指導を受けるようになりました。スタムスのスキーギムナジウムは卒業したばかりでまだ何の職業にも就いてはいません。尊敬しているのはギュンター・マーダー、彼のようなオールラウンダーになりたいと思っています。目下の目標は、来年の世界選手権に出場できたらと思っています。何と云ってもサン・アントンは地元ですから。賞金?、9万マルク(約550万円)ですか、そんな大金見たこともないし、どうしたらいいのかなぁ」。「ガールフレンドはいるのかい」という問いには「はい、います」と、ブロンドというより黄色に染めた頭をはっきりと上げて答えた。大きな銀色のイヤリングは双方の耳につけているが別に意味はないと笑う。

 マリオ・マットは従来の長いスラローム・スキーでレースに出たことはない。最初から短いカービング・スキーしか知らない選手である。「勝ったスキーはそっと飾っておきます。次のレースまで2週間。カービングのテスト、テストです」。

 2週間後のトッドナウ(GER)でマリオ・マットは1本目12位から2本目にベストタイムを叩き出し、トータル4位に入賞し力のあるところを見せつけた。そして3月9日、土砂降りの中ナイターで行なわれたシュラドミング(AUT)のスラロームで2勝目を上げた。

 2000/01シーズンのマットはなかなか勝てなかった。マドンナ・ディ・カンピリオ(ITA)で1勝をあげたが、イージーミスが多く途中棄権が多かった。だが地元、生まれ故郷のサン・アントン(AUT)で行なわれたアルペン世界選手権では、大勢の地元応援団の前で見事に金メダルを獲得した。 「5万人の大観衆の前で、しかも自分のゲレンデでスラローム金メダルを獲得できたことは言葉に尽くしがたい感激です」と語った。

  2002シーズンのマリオはアスペンの第1戦3位、同第2戦で優勝、3戦のマドンナ・ディ・カンピリオでは20位、4戦のクラニスカ・ゴラで2位、5戦のアーデルボーデンで15位、6戦のウェンゲンは1本目41位で予選落ちと調子の波に乗れないレースを繰り返した。そして1月20日、7戦のキッツビューエルで怪我をしてしまった。
右肩の脱臼と腱しょうの亀裂で期待されていたソルトレークシティ・オリンピックを断念した。

 2002シーズン後半と2003シーズンを度重なる怪我のために失意の内に過ごしたマリオだったが、2004シーズンは再び表彰台に帰ってきた。スラローム初戦のパーク・シティを42番でスタートしたが一気に上昇、3位2回、4位1回、6位3回とトップ戦線で活躍、スラローム・ランキング6位でシーズンを終了した。
 2005年3月13日、このシーズンの男子回転最終戦はパルパン(レンツェルハイド)の「シルバーノ・ベルトラメッティ」コースで行なわれた。
 1本目は11番スタートのマリオ・マット(AUT)がベストタイムをマークした。マットはこのビハインドを守り、2001年12月のアスペン(USA)での勝利以来、実に3シーズンぶりの勝利を飾った。ワールドカップ通算5勝目である。
 「2001年から久しぶりの勝利で喜んでいます。スラローマーにとっての肩の怪我がどんなにむごいものかをいやというほど知った」とマリオは語った。

 2007年2月17日、オーレ世界選手権のスラロームで、自身世界選手権2個目となる金メダルを獲得した。この日多くの選手がコースアウトする中で、マリオは1、2本ともベストタイムをマークし、ダントツの圧勝を飾った。まるで異星人のように。