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MAIER Hermann (AUT)
1972年12月7日. Flachau(AUT)生まれ
身長 181cm 体重 89kg
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SKI: Atomic
BOOTS: Atomic
BINDING: Atomic

Kitzbuhel00 DH AltaBadia00 GS
Kitzbuhel 2000 DH Alta Badia 2000 GS
Bormio00 SG/1st Shigakogen01 GS/1st
Bormio 2000 SG/1st Shigakogen 01 GS/ 1st ↑(クリックで拡大写真)
Solden01 GS/1st LakeLouise01 SG/1st
Soelden 2001 GS / 1st Lake Louise 2001 SG / 1st
Kitzbuhel03 SG/1st StMoritz WM03 SG/2nd
Kitzbuhel 03 SG/ 1st St.Moritz WM 03 SG/2nd
Kitzbuhel 05 SG/ 1st Bormio WM 05 M-GS/ 1st
Soelden 06 GS / 1st

1998 WCup/Champ
Hermann Maier 1998
2000 WCup/Champ
Hermann Maier 2000
2001 WCup/Champ
Hermann Maier 2001
Hermann Maier 2004
World Cup Ranking
General

1996/106th, 1997/21st, 1998/1st. 1999/3rd. 2000/1st, 2001/1st, 2002/-,
2003/45th, 2004/1st, 2005/3rd, 2006/6th, 2007/19th,
Special
1998 GS/1st, SG/1st, DH/2nd, K/2nd. 1999 SG/1st, GS/3rd, DH/6th.
2000 DH/1st, SG/1st, GS/1st, 2001 SG/1st, DH/ 1st, GS/1st,
2003 DH/25th, SG/19th. 2004 SG/1st, DH/3rd, GS/17th, K/10th.
2005 SG/2nd, DH/3rd, GS/4th. 2006 DH/7th, GS/8th, SG/2nd.
2007 SG/6th, GS/16th, DH/18th.
World Championships
1999 Vail. DH/1st, SG/1st.
2001 St.Anton. SG/3rd, DH/2nd, GS/4th.
2003 St.Moritz. SG/2nd, DH/8th.
2005 Bormio. GS/1st, SG/4th, DH/17th.
2007 SG/7th, DH/13th, GS/21st.
Olympic Games
1998 Nagano SG/1st, GS/1st, DH/DNF.
2006 Torino. DH/6th, SG/2nd, GS/3rd,
World Cup - 53 W. (15 DH, 23 SG, 14 GS, 1 K)

1. DH: Bormio 98-I, Wengen 98-I, Bormio 99, Beaver Creek 00, Chamonix 00,
Garmisch 00, Beaver Creek 01, Val d'Isere 01-I, Kitzbuhel 01, Kvitfjell 01-I,
Are 01, Beaver Creek 04-II, St.Anton 04, Kvitfjell 05, Garmisch 06,
SG: Garmisch 97,98, Vail 98, Schladming 98-I+II, Val d'Isere 99, Innsbruck 99,
Schladming 99, Kvitfjell 99, Beaver Creek 00, Lake Louise 00, Kitzbuhel 00,
Bormio 00, Lake Louise 01, Kitzbuhel 01, Kvitfjell 01, Kitzbuhel 03,
Lake Louise 04, Garmisch 04, Sestriere 04, Kitzbuhel 05, Kvitfjell 05, Kitzbuhel 06,
GS: Park City 98, Saalbach 98, Adelboden 98, 99, Soelden 99. Tignes 00,
Beaver Creek 00, Todtnau 00, Soelden 01, Val d'Isere 01-I, Adelboden 01,
Shigakogen 01, Are 01, Soelden 06,
K: Wengen/Veysonnaz 98,
2: DH: Vail 98 II, Lake Louise 2000, Bormio 00, Garmisch 05-i,
SG: Garmisch 97 I, Aspen 99, Kvitfjell 2000, Garmisch 01, Beaver Creek 04,
Val Gardena 04, Kitzbuhel 04, Lake Louise 05, Val Gardena 05,
GS: Kranjska Gora 98, Alta Badia 2000, Saalbach 2000, Park City 01, Beaver Creek 05,
K: Chamonix 2000,
3. DH: Wengen 09 II, Garmisch 98, Val Gardena 99 I, 2000 II, Kvitfjell 2000,
SG: St.Anton 00-II, Val Gardena 04, Kvitfjell 04, Hinterstoder 07,
GS: Tignes 98, Alta Badia 98, Yong Pyong 98, Crans Montana 98, Flachau 99,
Hinterstoder 00, Val d'Isere 05, Alta Badia 05,
K: Wengen 99, Kitzbuhel 2000,
P: Tignes 98,
4. DH: Bormio 98-II, Val Gardena 99-II, Wengen 99, Kitzbuhel 99, Kvitfjell 00-II,
Kitzbuhel 04-I, Wengen05, Lenzerheide 05, Lake Louise 06, Wengen 06,
SG: Kvitfjell 97, Garmisch 06, Are 06, Lake Louise 07,
GS: Alta Badia 99, Ofterschwang 99, Lenzerheide 05,
5. DH Kvitfjell 01, Beaver Creek 04-I, Val Gardena 04, Garmisch 04-I+II, Lake Louise 05,
Wengen 06, Lenzerheide 07,
SG: Kvitfjell 07,
GS: Vail 97,
6. DH: Val Gardena 00-I, Kitzbuhel 03, Lake Louise 05, 07,
SG: Vail 01, Val Gardena 06,
GS: Park City 97, Ata Badia 06,

 1997年、まさに彗星のごとく,人間機関車ザトペック(古い)のように力強く,オーストリアチームの牽引車として突如現れた。ワールドカップ3シーズン目にして堂々総合優勝を勝ち取った。1969、70年のカール・シュランツ以来、実に28年ぶりにオーストリアチームの悲願は達成された(1998シーズン)。

 ジュニア時代に膝を痛め、レーサーへの道を断念させられた。夏は煉瓦積み職人として、冬は父の経営するスキー学校の教師として働いた。だがスキーレーサーへの夢をあきらめきれず、草大会やプロレースを荒らし回っていた。そんな彼の才能に目を付け、ナショナルチームに抜擢したのが、スーパーGと大回転のコーチであるトニー・ギガー(現オーストリアチーム・ヘッドコーチ)だった。95年春、ヘルマン・マイヤーはオーストリア選手権の大回転で141番スタートから18位に食い込み注目を浴び、翌'96年のシーズンからワールドカップチームに加えられ,'97年2月ガルミッシュ(GER)のスーパーGで初優勝を上げた。そして97/98シーズンの快進撃ぶりはレースファンなら誰でも知っている。

 1999/2000シーズンは開幕当初から連勝を重ね、総合、滑降、スーパーG、大回転で常にトップをキープして誰にも追い越されることなくシーズンを独走して4個のクリスタルカップを獲得した。「ザ・ハーミネーター」のニックネームが輝きを増したシーズンだった。獲得したワールドカップ・ポイント2000点は新記録。また4個のクリスタルカップはジャン・クロード・キリー(FRA)と並ぶタイ記録。
 2000/2001シーズンは12勝をあげ、前年に続き総合、滑降、スーパーG、大回転の4冠を達成した。

 2002シーズンは2001年8月に起きたオートバイ事故のためにワールドカップ、オリンピック出場をふいにした。
 2003年1月14日、1年10ヶ月ぶりにアーデルボーデン(SUI)の大回転からワールドカップに復帰したヘルマンだったが、復帰第1戦は1本目31位で2本目には出場出来なかった。その後ウェンゲン(SUI)のラウバーホルン・ダウンヒルは1戦22位、同2戦目で7位と順位を上げ、キッツビューエル(AUT)のハーネンカム・ダウンヒルは6位、そしてついにハーネンカム・スーパーGで復帰後の初勝利を上げた。ハーミネーターの復活である。
 2004シーズン、ハーミネーターはほぼ完全に復帰した。ほぼというのは大回転でまだ本調子を取り戻していないからだ。だがスーパーGは本来の力を取り戻した。あの悪夢のような大怪我からここまで復帰するとは本人を含めて誰もが予想できなかった。だがヘルマンは復帰し、4度目の総合優勝を達成し、スーパーGのタイトルを獲得した。今季5勝を上げて勝利数を47まで延ばし、インゲマル・ステンマルク(SWE)の86勝、アルベルト・トンバ(ITA)の50勝に次ぐ歴代3位に上昇した。トンバの記録は来シーズンに抜くだろう。
 “私はシーズン始めに今日の結果を予期することは出来なかった。単にレースが出来て最終戦に無事たどり着ければそれでよいと考えていた。私は、北米シリーズでいくらかの良いレースが出来た。しかし1 月には難しい期間があった。幸いにも2月に私のリズム、私のフォームを取り戻すことが出来た。これは信じられない勝利だ。しかし、私は非常に熱心に働いた、カムバックのために” 最終戦のセストリエールで4度目のワールドカップを征した後で語った言葉。

 2005シーズンはキッツビューエルのスーパーGで勝った後、世界選手権のボルミオ(ITA)に挑んだ。スーパーG4位の後、大回転でヴェイル(USA)以来6年ぶりの金メダルを獲得した。大回転の金メダルは1998年の長野オリンピック以来となる。オーストリアが世界選手権の大回転で金メダルを獲得したのは1991年、ザールバッハ大会でのルドルフ・ニールリッヒ(故人)以来14年ぶりのことである。
 「今日の1本目は自分にとって一番難しかった。下部も上手くいったわけではない。2本目はアタックできる幸いなコースセットだった。世界選手権大回転の金メダルがこれほど長い間我が国が獲得していなかったとは思わなかったが、この勝利は自分にとって本当に意義深い。以前は大イベントでも勝つことは難しいことではなかった。しかし、今日は闘い抜いて勝利を得たといえるから感激もひとしおだ。事故で怪我した後は、確かに大回転は困難だと思い、自分はスーパーG、滑降に集中しパーフェクトなレースをやることを考えた。だが2本のレースがある大回転には興味は常に持っていた。ターミネーターはもういいと云ったのはスポーツはショーだし、こんどは違う名前を貰ってもいいだろうと思ったからだ。いまは引退については考えていないし、ソルトレーク五輪を逃してトリノを目標という考えも今のところない。しかし、ヘルマン・マイヤーの時代は終わりだと言った奴は考えを変えるべきだろう。スポーツとは良いときは全力を尽くして闘うもの、悪いときは病院で休憩するそんな人生かな」と勝利者インタビューで語った。

Biorama Basel