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KIMURA Kiminobu (JPN) 木村公宣(富良野プリンスホテルSS) 木村公宣.Web Site
1970年10月24日 青森県・弘前市生まれ
身長 180cm 体重 77kg
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SKI: Rossignol
BOOTS: Rossignol
BINDING: Rossignol


※2003年3月8日、引退
madonna 98 SL/8th Kranjska Gora 98 SL/4th
Madonna 97 SL/ 8th Kranjska Gora 98/ 4th
Veysonnaz 98 SL/3rd Schladming SL
Veysonnaz 98 SL/3rd Schladming 99
Sestriere 01 SL/4th Sestriere 01 SL/4th Podio
Sestriere 01, SL/ 4th Sestriere 01 SL/4th, Podium
Kitzbuhel 03 SL Shiga-Kogen 03 SL/Last run
Kitzbuhel 03 SL Shigakogen 03 SL/ Last ran

Crans Montana 98
Crans Montana 98
Kimura Face
Kitzbuhel 03
World Cup Ranking
General

1994/75th, 1995/51st, 1996/60th, 1997/34th, 1998/28th. 1999/105th.
2000/110th, 2001/65th, 2002/-.
Special
1994 SL/24th, 1995 SL/17th, 1996 SL/19th, 1997/8th, 1998/5th,
1999/44th. 2000 SL/47th, 2001 SL/21st.
World Chmpionships
1991 Saalbach K/15th.
1993 Morioka/Shizukuishi SL/20th, GS/23th, K/8th.
1999 Vail SL/14th.
2001 St.Anton SL/DNF
2003 St.Moritz SL/22nd.
Olympic Games
1992 Albertvill GS/21st, SG/33rd, K/15th.
1994 Lillehammer SL/18th, GS/26th, SG/33rd.
1998 Nagano SL/13th, GS/25th.
2002 Salt Lake City SL/18th, GS/37th.
World Cup
3. SL: Veysonnaz 98.
4. SL: Shigakogen 97, Kranjska Gora 98, Yong Pyong 98. Sestriere 01,
5. SL: Kitzbuhel 97, 98 II , Schladming 97,
6. SL: Chamonix 97,
7. SL: Park City 97,
8. SL: Garmisch 95, Kitzbuhel 96, Veysonnaz 96, Madonna 97,
9. SL: Sestriere 96, Schladming 98,
10. SL: Kranjska Gora 97, Kitzbuhel 98-I ,
11. SL: Lech 95-II, Crans Montana 98,
12. SL: Sestriere 95, Park City 98,
14. SL: Bormio 95,
15. SL: Hafell 96, Shigakogen 01,
16. SL: Kitzbhhel 95, Breckenridge 97,
17. SL: Madonna 94, 01,
19. SL: Madonna 00, Are 01,
20. SL: Stoneham 94, Kranjska Gora 94, Garmisch 94, Yongpyong 00,
21. SL: Sestriere 98
23. SL: Kitzbuhel 94, Tignes 95,
24. SL: Sestriere 94, Chamonox 94, Sestriere 99,
25. SL: Flachau 96, wengen 99,
26. SL: Kranjska Gora 99, Ofterschwang 99, Schladming 01, Wengen 03,
P: Tignes 98,
30. SL: Kranjska Gora 96,

 1998年1月18日、ヴェイソンナ(SUI)のスラロームで木村公宣(ロシニョールジャパン)は、長野オリンピックを前にして自己最高の3位をゲットし、初めての表彰台に立った。前年の'97年3月、オリンピックコースで行なわれたプレ・オリンピック回転で4位に入賞し、日本チームは木村公宣一人に全てを託す体勢が出来上がた。「この3位は長野に入る前にプレッシャーになるだろう」と語り、さらに「このプレッシャーは私にとって良きモチベーションになる」と、長野オリンピックへの抱負を語った。。

 2000年12月11日、セストリエール(ITA)で行なわれたナイト・スラロームで、木村公宣(ロシニョールジャパン)が4位に入賞し、1998年2月のヨンピョン(KOR)以来となる一桁入賞を果たして久しぶりに表彰台に上がった。また皆川賢太郎(日本体育大学)も3回目となる6位入賞で、日本チームは沸きに沸いた。二人揃っての一桁入賞は日本チーム初の出来事である。
 木村のスタート番号は44。3位のピエリック・ブールジェ(FRA)とはわずか100分の1秒差の4位だった。かつては第1シードをキープし、長野オリンピック前の'98年1月にはベイソンナ(SUI)で3位という実績を持つ木村だが、長野オリンピック後の全日本選手権大会の際、アップ中に大怪我をしてどん底まで落ちた。この年結婚し美和子夫人とともにオーストリアに居を構え黙々とトレーニングに励んできた。口癖は「まあ、ぼちぼちとやりますよ」だったが、今日リベンジを果たして出てきた言葉は「やめないでよかった」だった。その言葉に万感の思いがこもっている。

 2003年3月6日、長きに渡って日本アルペンを引っ張ってきた木村公宣選手が正式に引退を表明した。「佐々木明選手の2位、皆川賢太郎選手の復帰など、後を託すのに良い機会だと思い、引退を決意した」とのべ、地元青森で行なわれたアジア大会の優勝がきっかけになったとも述べた。皆川選手は「先輩と言うよりもライバルとしての気持ちが大きかったが、木村さんの引退で僕たちももっと頑張らなくてはと思った」と感想を述べた。
 「今の心境は」と言う質問に木村選手は「めちゃめちゃ泣きたいです」と答えた。

キムキミ、グッドバイ。感動を有り難う! 2003年3月8日
キムキミ、最後のインスペクション、3月8日、午前10時 キムキミ、最後のワールドカップ・ラン、3月8日、焼額
2本目開始前、特別前走としてキムキミのラストランが行なわれた。ゴールラインの手前で滑りをやめ、スキーを掲げてフィニッシュ・ラインを超えた。 花束を贈呈した奥方の「みいちゃん」こと美和子さんと厚い抱擁でお互いの健闘をたたえ合った。公式の場に「みいちゃん」が出てくるのはこれが初めて?
ファンの声援に応える木村公宣 これが最後のキミノブの姿だ

 2002年3月8日、この日が木村公宣(ロシニョールジャパン)の最後の日になった。1991年ザールバッハ(AUT)世界選手権でのビッグイベント初舞台から12年間、日本のトップとしてアルペンチームを引っ張ってきたキムキミの、これが最後のレースになった。オフィシャルの観客数は6700人。前回2001年の大会よりも明らかに多い観客が集まった。大半はキムキミの最後の滑りを見たいという、熱狂的なアルペンファンだった。悪天候の中、この日の朝に焼額に駆けつけた観客も多かった。1本目は36位でゴール。2本目には残れなかったが、ファンは満足だった。スタートからゴールまで、声援の波が続き、焼額は大いに盛り上がった。

 2本目のレース開始前、特別前走としてラストランをした木村公宣。ゴールからは吹雪のためにその滑りは良くは見えなかったが、最後の急斜面をゲートを外れゆっくりと滑り終えた。ゴールラインを前にして、振り返ったキミノブはスキーを脱いでコースに跪き、ピステにキスをしたあと、脱いだスキーを高く掲げてゴールラインを超えた。

 前アルペン部長の古川年正氏が花束を贈呈し、続いて長年公宣のスキーを磨いてきたサービスマンのマテェヤス・ナグリックが花束を贈呈、そして最後に公宣を陰から支えてきた奥さんの美和子さんが花束を贈呈した。二人は深く抱き合って観客の喝采を浴びた。

 まだ続けてほしいという声が多い中、引退という究極の選択をした木村公宣。引退の理由として、「後を託す事の出来る若手の成長」を上げ、「まだ続けたいという気持ちはあるが」という本音も漏らしたが、「自分の故郷でお世話になった人たちの前で金メダルを獲得できたことで気持ちはすっきりした」とも述べた。2日前の記者会見で「今の心境は」と聞かれて、「めちゃめちゃ泣きたいです」と答えたキムキミだったが、彼の目に涙はなかった。涙を流していたのはキミノブが後を託した後輩の選手達だった。