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| HEIDEGGER Klaus (AUT) |
1957年8月15日 Goetzens/Innsbruck(AUT)生まれ
身長1m80 体重79kg |
SKI: Atomic
BOOTS: Koflach
BINDING: Tyrolia
※1986年引退 |
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World Cup Ranking
General
1976/49th, 1977/2nd, 1978/4th, 1979/31st, 1980/32nd, 1981/98th, 1982/-,
1983/46th, 1984/41st, 1985/34th,1986/49th,
Special
1977 SL/2nd, GS/3rd,
1978 SL/2nd,
World Championships
1978 Garmisch SL/DNF, GS/18th
World Cup -5 w. (2 GS, 3 SL)
| 1. |
GS: |
Garmisch 77, Voaa 77. |
| SL: |
Furano 77, Wengen 78, Kitzbuhel 78. |
| 2. |
GS: |
Are 77. |
| SL: |
St.Anton 77, Berchtesgade 77, Madonna 77,
Oberstaufen
78. |
| 3. |
GS: |
Val d'Isere 76, Adelboden 77. |
| SL: |
Wengen 77, Watervill Valley 80. |
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1976年12月、バルディゼール(FRA)で行なわれた開幕戦の大回転で、30番スタートから3位に飛び込んで来た男がいた。オーストリアの新鋭クラウス・ハイデッガーである。翌日行なわれたバルディゼールの第2戦も5位。続くマドンナ・ディ・カンピリオ(ITA)とエブナ・カッペル(SUI)で連続4位。そして年が明けて1977年1月9日、ガルミッシュ・パルテンキルヘン(BRD)の大回転で自分がどんなに力があるかを知ることができた。1本目のベストタイムを奪ったのはステンマルク。優勝は「いつも通り」で決まるかに思われた。ハイデッガーは遠く離れた1秒04差の5位。2本目、このがっしりしたチロリアンは持ち前の突っ込みで斜面を駆け下った。1分44秒57。ステンマルクは消え、他に誰も彼を抜くものはいなかった。2位のハイニ・ヘンミをわずか百分の1秒差で下してワールドカップ初勝利を挙げた。続くベルヒテスガーデン(BRD)でステンマルクの2位になった時ワールドカップポイントが90点となり、なんとこのシーズンの総合得点争いのトップに立ってしまったのである。
こうなるともはや新人とは呼べない。クリスタルトロフィーを争うエリート中のエリートだ。「回転にもぜひ勝ちたい、勝てると思う」と記者会見で語ったハイデッガー。どちらかと言えば大回転に強い彼がその望みを果たしたのは、故郷から遠く離れた異国、日本の富良野でだった。77年2月27日、降りしきる雪の中で行なわれた男子回転第7戦。1本目、1m80p、79sのパワーをフルに生かしてハイデッガーがベストタイムをマークした。ステンマルクは1秒10差で4位。逆転を得意とするステンマルクには十分射程範囲内である。しかし2本目ハイデッガーは一瞬止まったようになるほどの失敗を犯しながらもステンマルクを追いつかせず、回転の初優勝を挙げた。その差0.23秒。ガルミッシュでハイニ・ヘンミの大回転3連勝を阻止し、富良野で破竹の勢いのステンマルクの回転6連勝をストップ。ハイデッガーは執念の男だった。
2回目の総合優勝を狙うステンマルクの恐れていたことが現実になった。この戦車のようにたくましい青年が野望にストップをかけようとしている。ハイデッガーにとっては、回転5連勝で貯金したステンマルクを捕まえるには、富良野の後のアメリカでのレースが正念場だった。だが勢い込んで乗り込んだハイデッガーにとってアメリカの雪は冷たかった。サンバレーの回転では29番スタートから1本目ラップを取ったが2本目に失敗。翌日の得意の大回転では1本目の前半でコースアウトしてしまったのである。ハイデッガーの野望はこのときサンバレーの空に消えた。続くボス(SWE)で大回転2勝目を上げたが、ステンマルクはすでに遠くに行ってしまっていた。しかし、バルディゼールの第1戦のときには考えも出来なかった250点を挙げ、総合で2位に輝いたことはハイデッガーにとって「満足」そのものだった。
クラウス・ハイデッガーは54年8月19日、チロル州の首都インスブルックに生まれた。73/74シーズンのヨーロッパカップで3勝を挙げ、素質の素晴らしさを高く評価され、翌年期待を担ってワールドカップにデビューした。ハイデッガーにはバネのような筋肉と誰にも負けない研究心があった。そして良いコーチに恵まれた。ペーター・プロディンガーが彼についたのである。そして自分の上を行くトエニ、ステンマルクの滑りをビデオテープで何度も何度も見て研究した。その研究熱心が短時間で超一流へと導いたのである。 |
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