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| EBERHARTER Stephan (AUT) |
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1969年3月24日 Strumm-Brixlegg(AUT)生まれ
身長 179cm 体重 79kg
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SKI: Atomic
BOOTS: Lange
BINDING: Atomic
※2004年 引退
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| Saalbach 91 World Championships SG-1st |
Saalbach 91 WM Combined/podium
2nd/K.Gedhina, 1st/S.Eberharter, 3rd/G.Mader |
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| Crans Montana 98 GS/1st - WCup 1st won |
Park City 99 GS/1st |
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| Lake Louise 01 DH/ 1st |
Val d'Isere 02 SG/1st |
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| Wengen 02 DH/ 1st |
Kitzbuhel 02 SG/1st |
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| Kitzbuhel 02 DH/1st |
Salt Lake 2002 GS/ 1st |
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| Val d'Isere 03 DH/1st |
Garmisch 03 DH/1st |
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| St.Moritz WM03 Super-G/ 1st |
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| Chamonix 04 DH/1st |
Kitzbuhel 04 DH-II/1st |
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| World Cup 02/ Overall & DH,SG Champion |
World Cup 03 Overall & DH, SG Champ |
World Cup 04 DH Champion |
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World Cup Ranking
General
1990/32nd, 1991/12th, 1992/36th,
1993/-,
1994/-, 1995/104th, 1996/-, 1997/-,
1998/3rd, 1999/4th. 2000/6th, 2001/ 2nd, 2002/1st, 2003/1st, 2004/2nd.
Special
1998 DH/7th, SG/3rd, GS/4th.
1999 GS/2nd,
SG/2nd, DH/7th,
2000 DH/5th, SG/7th, GS/16th, 2001 DH/2nd, SG/4th, GS/21st.
2002 DH/1st, SG/1st, GS/3rd. 2003 DH/1st, SG/1st. 2004 DH/1st, SG/3rd.
World Championships
1991 Saalbach SG/1st, K/1st.
1999 Vail SG/4th, DH/5th,
2001 St.Anton SG/2nd, DH/7th,
2003 St.Moritz SG/1st,
Olympic Games
1998 Nagano GS/2nd
2002 Salt Lake City DH/3rd, SG/2nd, GS/1st.
World Cup - 29 w. (18 DH, 5 GS, 6 SG)
| 1. |
DH: |
Lake Louise 01, Kvitfjell 01-II, Val d'Isere 02, Val Gardena 02-II,
Wengen 02, Kitzbuhel 02, St.Moritz 02, Altenmarkt 02, Lake Louise 03,
Beaver Creek 03, Val d'Isere 03, Bormio 03, Wengen 03-I, Garmisch 03,
Chamonix 04, Kitzbuhel 04-II, Garmish 04-II, Kvitfjell 04,
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| GS: |
Crans Montana 98, Park City 99, Oftershwang 99, St.Moritz 02, Soelden 03,
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| SG: |
Aspen 99, Val d'Isere 02, Kitzbuhel 02, Garmisch 02-II, Lake louise 03,
Kvitfjell 03, |
| 2. |
DH: |
Kvitfjell 99 I, Beaver Creek 00, Chamonix 00, Val dIsere 01-I, Are 01,
Kvitfjell 03, Beaver Creek 04-I, Kitzbuhel 04-I, ST.Anton 04, |
| SG: |
Aspen 93, Vail 98, Schladming 98 I. Val d'Isere 99, Kvitfjell 99, Vail
00,
Val Gardena 04, Sestriere 04, |
| GS: |
Val d'Isere 98, Soelden 99, Val d'Isere 99, Soelden 01, Soelden 02, |
| 3. |
DH: |
Beaver Creek 98, Bormio 99, Kvitfjell 99 II, Lake Louise 00,
Beaver Creek 01, Kitzbuhel 01, Bormio 02-I+II, Garmisch 04-I, Sestriere
04, |
| SG: |
Valloire 90, Lake Louise 91, Schladming 98 II. St.Anton 00-I, Kvitfjell
01,
Garmisch 02, Lake Louise 04, |
| GS: |
Lillehammer 91, Tignes 2000, Val d'Isere 02, Flachau 02, |
| 4. |
DH: |
Bormio 98 I, Garmisch 98, Garmisch 01, Val Gardena 02-I, |
| GS: |
Aspen 91, Tignes 98, Park City 98, Alta Badia 9, Sierra Nevada 99, Vail 00, |
| SG: |
Innsbruck 99, Lake Louise 00, Garmisch 01, |
| K: |
Garmisvh 92, Kitzbuhel 92, Chamonix 00, |
| 5. |
DH: |
Wengen 98 I, II, Var Gardena 2000 I, |
| SG: |
Lake Louise 01, |
| GS: |
Mt.St.Anne 89, |
| K: |
Kitzbuhel 91, Wengen/Veysonnaz 98 |
| 6. |
DH: |
Garmisch 00, Kvitfjell 02, Val Gardena 04, |
| K: |
Veysonnaz 93, Kitzbuhel 03, |
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1998/99シーズンのステファン・エバハルターは彼の9年の戦歴の中でもっとも充実したシーズンを過ごした。1998年11月20日、アメリカ・ユタ州、パーク・シティ、男子大回転。この日1本目トップを奪ったのは「ハーミネーター」ヘルマン・マイヤー(AUT)だった。エバハルターは0秒35遅れで2位に付けた。昨シーズンのヘルマンならこれで楽勝のはずだった。だがこのシーズンはちょっと違っていた。2本目、最後に滑ったヘルマンは急斜面への入り口でポールをまたぎコースアウトしてしまった。勝利が転がり込んだエバハルターはさして喜ぶ風でもなく、2位に入った同僚のクリスチャン・マイヤーの祝福を受けた。だが降りてきたヘルマン・マイヤーの祝福は無視した。
1週間後、アスペン(USA)で行なわれたスーパーGで、ヘルマン・マイヤーを2位に従えてこの種目でも初優勝を挙げた。開幕戦のゼルデン(AUT)でヘルマン・マイヤーの2位になったとき、「彼に負けたわけじゃない、自分が多くのミスを犯しただけだ」と語ったが、エバハルターは人が変わったように自信に満ちあふれていた。このシーズンはワールドカップで3勝、総合で4位、種目別では大回転でミハエル・フォン・グリュニゲン(SUI)に次ぐ2位でシーズンを終えた。
ワールドカップ選手に怪我は付きものという。だがエバハルターの場合はそれが半端じゃなかった。その経緯と彼の奮闘振りを振り返ってみよう
ステファン・エバハルターは1991年、21歳の冬、ザールバッハ・ヒンターグレム(AUT)で行なわれた世界選手権のスーパーGとコンビの2種目で金メダルを獲得し、一躍「シンデレラボーイ」と持て囃され、オーストリア国民のアイドルになった。これが「ハンサムボーイ」ステファンの成功の始まりであるかに思われた。だが実は苦難の始まりであった。翌1992年、アルベールビルオリンピックの直前、スーパーGのトレーニングで左膝靭帯を断裂して戦線離脱、その夏、復帰のためのトレーニング中にまたしても鎖骨骨折というアクシデントに見舞われた。1993年12月、再び左膝靭帯を裂き、リルハンマーオリンピックを棒に振った。1995年には膝の半月版の手術を受けた。そして1996年、ついにナショナルチームから外されてしまったのである。チームは彼を首にはせず、ヨーロッパカップ参戦を命じた。だが皮肉なことにヨーロッパカップを転戦するようになって怪我と決別することになる。96/97シーズン、ヨーロッパカップで総合優勝を勝ち取り、滑降とスーパーGで種目別総合優勝を果たし、再びワールドカップチームに復帰した。
1997年10月26日、ティーニュ(FRA)で行なわれた97/98シーズンの開幕戦大回転。久しぶりにワールドカップのスタート台に立ったエバハルターのゼッケンは42番だった。だが彼は1本目12位につけ、2本目はベストタイムをマークしトータル4位に入賞した。第2戦・パーク・シティ(USA)4位、第3戦・バルディゼール(FRA)2位、第4戦・アルタ・バディア(ITA)4位。第3シードから始まったこのシーズンは、年が明けた98年1月には早くもトップシードに返り咲いていた。1998年2月19日、長野オリンピック男子大回転。ここではヘルマン・マイヤーに次ぐ2位をゲット。そしてその3週間後、97/98シーズンの最終戦、クラン・モンタナ(SUI)の大回転でワールドカップ初優勝を挙げた。29歳になる直前だった。
ステファン・エバハルターのスキー人生は、一つの神話と呼べるものなのかもしれない。怪我により挫折する選手もいれば、どん底から不死鳥のように蘇り栄光の座を確保する者もいる。モチベーションの持続、スポーツの神秘性がここにある。
宿敵ヘルマン・マイヤーが怪我で欠場した2001/02シーズン、エバハルターは10勝(DH6、SG3、GAS1)を上げ、ワールドカップ総合と滑降、スーパーGのタイトルを獲得した。ソルトレーク・シティ(USA)オリンピックでは大回転で金、スーパーGで銀、滑降で銅と3個のメダルを獲得した。後1年レースを続けたいと明言しているのは、ヘルマン・マイヤーとの決着を付けたいとの考えか。
2002/03シーズンはワールドカップで全9勝(DH6、SG2、GS1)を上げ、昨年に続き総合と滑降、スーパーGのタイトルを獲得した。また、サン・モリッツ(SUI)で行なわれた世界選手権ではスーパーGで金メダルを獲得した。シーズン当初は破竹の勢いで進んでいたがバルディゼール(FRA)の大回転で転倒、靱帯を損傷して一時戦線を離脱、ボーディ・ミラー(USA)の急追にあって多少もたついたが、ボーディの自滅で総合のタイトルを守った。シーズン始めに今季限りでの引退をほのめかしていたが、終了後の記者会見では「去就は夏まで分からない」と残留の可能性を再びほのめかしていた。あるいは宿敵ヘルマン・マイヤーとの決着はまだ付いていないとの考えか。
2004シーズン、総合2位、滑降の総合タイトルを獲得した。エバハルターは35歳になった。シーズン前に立てた目標は達成した。総合はヘルマン・マイヤーに次ぐ2位だったが、それについても彼は十分に満足だと言っている。にもかかわらず今後について揺れているのはポイントが少ないと感じているからである。滑降で4勝を上げたがスーパーGでは一度も勝てなかった。GSでは表彰台に一度も立てなかった。総合ポイントでは昨年優勝したときのそれよりも100ポイント以上低かったのだ。調子も万全だったとは言えない。シーズン当初はインフルエンザで体調を崩していたし、シーズン中も健康診断のためにインスブルック大学病院の門を叩いている。滑降で4勝を上げたのは執念以外の何ものでもない。ラッキーだったといえるだろう。そして何よりも気がかりなのはヘルマン・マイヤーの軍門に下ったことだ。決着を付けたいという気持ちから引退を2年間も延ばしてきた。まだ決着はついていないとする気持ちの方が強いはずだ。また来季も出てくるだろう。
“私の今年の目標は3度目の滑降のタイトル、ハーネンカムのダウンヒルでもう一度勝つことだった。総合優勝は頭になかった。目標の二つは達成することが出来た。オーバーオールのポジションには満足している。良いシーズンだった。来季についてはまだ何にも言えない。50/50だ。続けるための感覚はいつものように突然やってくるかも知れない”と、最終戦のセストリエールで語った。
2004年9月17日、引退を表明した。 |
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