BURAAS Hans-Petter (NOR) Web Site
1975年3月20日 Gjettum/Oslo 生まれ、Residence: Monaco
身長 190cm / 体重 90kg
Club: Bærum Skiklubb

SKI: Rossignol
BOOTS: Rossignol
BINDING: Rossignol

Schladming98 SL/2nd Kitzbuhel98 SL/2nd Schladming99 SL/7th
Schladming 98 SL/2nd Kitzbuhel 98 SL/2nd Schladming 99 SL/7th
Nagano OWG98 SL/Gold nagano OWG98 Buraas&Furuseth
Nagano Olympic Slalom/ Gold Nagano 1998. Buraas(1st) & Furuseth(2nd)
Sestriere01 SL/1st Kitzbuhel01 SL
Sestriere 01 SL/1st Kitzbuhel 01 SL/3rd
ParkCity03 SL Schladming03 SL/3rd
Park City 03 Schladming 03 SL/3rd
Shigakogen03 SL/1st
Shigakogen 03 SL/1st run

BuraasSestorier01Podio
BuraasFace
World Cup Ranking
General
1995/-, 1996/144th, 1997/120th, 1998 /19th, 1999/46th, 2000/31st, 2001/18th, 2002/-,
2003/32nd, 2005/128th, 2006/87th,
Special
1998 SL/3rd, 1999/16th, 2000 SL/9th, 2001 SL/5th.
2003 SL/7th. 2005 SL/50th. 2006 SL/30th.
World Championships
1999 Vail/Beaver Creek SL/DNF.
2001 St.Anton SL/DNF.
2003 St.Moritz SL/DSQ
Olympic Games
1998 Nagano SL/1st,
World Cup -1 w. (1 SL)

1. SL: Sestriere 01,
2. SL: Kitzbuhel 98, Crans Montana 98. Park City 99, Schladming 01,
3. SL: Sestriere 98, Schladming 98, Kitzbuhel 01, Bormio 03, Schladming 03,
4. SL: Veysonnaz 98, Kitzbuhel 98. Adelboden 00, Bormio 00, Park City 01,
Shigakogen 01-I, Sestriere 03-KO,
5. SL: Beaver Creek 00, Schladming 00, Wengen 03,
6. SL: Park City 98,
7. SL: Schladming 99,
8. SL: Kranjska Gora 03,
9. SL: Wengen 99, Todnau 00,

 長野オリンピックの男子回転で金メダルを獲得したハンス・ペテル・ブロースは、オリンピックの1ヶ月後に23歳の誕生日を迎えた。1992年以降オリンピック、世界選手権で合計10個の金メダルを獲得した「アタッキング・バイキング」の一番若いメンバーである。
 1994年にレークプラシッド(USA)で行なわれたジュニア世界選手権の滑降で右膝の靱帯を断裂しオールラウンドレーサーへの道を断念、テクニック系に焦点を合わせることに決めた。翌95年のシーズンからワールドカップに参戦し、96年のティーニュの大回転で27位、97年のクラニスカ・ゴラの大回転で21位というのが97シーズンまでの実績である。それが98シーズン,一気に花開いた。
 ノルウェーチームはオーレ・クリスチャン・フルセト、シェティール・アンドレ・オーモット、フィン・クリスチャン・ヤーゲ、トム・スチアンセンなどスラロームスペシャリストの宝庫だ。ブロースは彼らを打ちのめしたが、実際は多くのものを彼らから学び取った。ただし髪をペイントする以外は。ブロースをコース上で探すのは簡単だ。変わった髪の色をした選手を捜せばよい。今シーズン(1998)、彼は数回髪の色を変えた。セストリエールではシルバーグレイだった。シュラドミングでは茶色だった。ベイソンナでは黒だった。キッツビューエルの1戦目は珍しく毛糸の防止をかぶってきた。プロテクターなしの。同2戦目は黒だった。長野では赤い蛍光色だった。最終戦のクラン・モンタナでは栗色だった。モトクロスとウィンド・サーフィンにも優れた才能を発揮しているブロースは、ノルウェーチームの中でも最も攻撃的だが、最もリラックスした生活を送っている「ポップ・スター」である。
 2000年12月11日、セストリエール(ITA)で行なわれたナイトスラロームで待望のワールドカップ初優勝を上げた。

 長野オリンピックのスラロームで金メダルを獲得したハンスペーター・ブロースは2001年5月27日、ノルウェー中央部のジュバースにあるサマートレーニングセンターでナショナルチームの合宿中、バンプで転倒して頸椎を打撲した。当初は症状も軽かったが、のちに腕のマヒを訴え、病院で検査後にオスロの総合病院に運ばれ緊急の手術が行われた。症状の予後は経過を1カ月みて発表されるが、ブロースは現在のところ、数週間の絶対安静を指示されベッド生活中である。(2001年6月1日)
 長野オリンピックのスラロームチャンピオン、ハンス・ペーター・ブロースは、まだオスロの病院でリハビリ中だ。当初、クリスマスまでには復帰できるであろうと思われていたが、チームドクターのオーラ・ランセンはノルウェーの日刊紙「ダグブラット」のインタビューで「誰もが彼の復帰を願っているが、それは難しいだろう」と語った。だが、ヘッドコーチのアトレ・スカーダルは「奇蹟は起こると考えたい」とまだ希望は捨てていない。ブロース自身は持ち前の性格から楽観的である。だが、ソルトレーク・オリンピックには間に合いそうもない。(2001年9月20日)
 ブロースは2002年3月2日、男子スーパーGの行なわれていたクビットフィエル(NOR)に元気な姿を現わした。「心配をかけたが、もうこのように元気になった。来季を目指してトレーニングだ」と力強い口調で語った。だが口振りとは裏腹に病み上がりのひ弱な印象はやはりぬぐい去れない。彼の医者によれば、「彼は、完全に回復しており、そして5月までに、彼はトレーニングに入る準備が整っているだろう」と語った。 (2002年3月2日)
 2003シーズンはパーク・シティ(USA)のスラロームから復帰、1本目いきなり4位で存在感をアッピールしたが、2本目に痛恨の転倒で入賞を逃した。だがセストリエール(ITA)のKOスラロームでは4位に入賞、笑顔を取り戻した。

Biorama Basel