ACCOLA Paul (SUI)
1967年2月20日 Davos(SUI)生まれ
身長 176cm, 体重 80kg

SKI: Rossignol →Stoekli
BOOTS:
Nordica →Lange
BINDING:
Salomon →Ess


※2005年 引退
Adelboden 98 GS / 3rd Crans Montana 98 GS
Breckenridge 92 SL / 1st Park City 92 GS / 2nd
Megeve 92 Super-G, Podium Wengen 92 SL / 2nd
1992 Overall Podium Breckenridge 92 SL-Podium Shizukuishi 92 SG Podium

AccolaFace
World Cup Ranking
General
1988/86th, 1989/20th, 1990/11th, 1991/8th, 1992/1st, 1993/18th,
1994/59th, 1995/49th, 1996/37th. 1997/22nd, 1998/18th. 1999/13th,
2000/14th, 2001/27th, 2002/46th, 2003/-, 2004/51st, 2005/92nd.
Special
1992 SL/2nd, GS/3rd, SG/1st, 1998 SG/10th, GS/12th,
2001 DH/26th, GS/9th, SG/24th, K/5th, 2002 DH/39th, SG/14th, GS/50th,
2004 DH/24th, SG/22nd. 2005 DH/39th, SG/51st.
World Championships
1989 Vail SL/4th, K/2nd.
1991 Saalbach SL/11th, K/4th.
1993 Morioka/Shizukuisi SL/5th.
1996 Sierra Nevada GS/13th, K/11th.
1997 Sestriere SL/18th, GS/5th, K/6th
1999 Vail K/2nd
2001 St.Anton K/3rd,
Olympic Games
1988 Calgary K/3rd.
1992 Albertvill SL/6th, GS/4th, SG/10th,
1994 Lillehammer SL/17th, SG/14th, K/6th.
1998 Nagano SL/18th, GS/7th, SG/18th,
2002 Salt Lake City K/6th,
World Cup - 7 w. (SL/1, GS/1, SG/2, K/3)
1. SL: Breckenridge 92.
GS: Breckenridge 92.
SG: Megeve 92. Shizukuishi 92.
K : Garmisch 92. Kitzbuhel 92. Wengen 92.
2. SL: Park City 92, Wengen 92, Crans Montana 92, Oppdal 91,
GS: Park City 92,
SG: Garmisch 92,
K : Kitzbuhel 89, 90, Schladming 90,
3. SL: Sestriere 89, Kranjska Gora 90-II, Lillehammer 91,
GS: Alta Badia 92, Shigakogen 97, Adelboden 98,
SG: Aspen 92,
K : Wengen/Veysonnaz 98, Kitzbuhel 99,
4. SL: Mt.Hutt 90, Watervill 91, Sestriere 92,
GS: Adelboden 91, Alta Badia 93, Yong Pyong 98,
SG: Val d'Isere 92, Schladming 99,
K: St.Anton 89, Wengen 89, Kitzbuhel 91,
5. SL: Mt.Hutt 91, Madonna 92, Kranjska Gora 92, Kitzbuhel 92, Are 92,
SG: Are 93, Kvitfjell 99,
K: Kitzbuhel 97, Chamonix 97, Kitabuhel 01, 02,
6. GS: Lillehammer 91, Crans Montana 92, Oppdal 93, Tignes 96,
Todnau 00, Yong Pyong 00,
K: Wengen 95, Veysonnaz 96, Kitzbuhel 00,

 ワールドカップで全7勝(SL/1,GS/1,SG/2,K/3)をマークしているパウリ・アッコラはその勝利の全てを1991/92シーズンに上げた。このシーズン、ワールドカップの総合タイトルをも手中にし、当分パウリの天下が続くかに思われた。だが翌年からは前年の活躍が嘘だったみたいに鳴りを潜め低迷が続いていた。ワールドカップ11年目を迎えた1997/98シーズン、復調の兆しを見せ、度々上位に顔を覗かせるようになった。そして低迷スイスの期待を担って出場した長野オリンピック。だが大回転で7位が最高という不甲斐ない成績に終わった。元々オリンピックには縁のない男なのである。

 1992年アルベールビル・オリンピック。絶好調で望んだこのオリンピック、悪くてもメダルの1個位は確実といわれていたが、終わってみればGS4位、SL6位、おまけにコンビの回転での行為に付き、FISとIOCから警告書を戴くという体たらく。

 この警告についてはアッコラに同情すべき事情がなかったわけではない。ただしアッコラだけではなく全ての選手に共通する事情だから、条件はイーブンだったといえるだろう。アッコラだけが身を挺して抗議の挙に出たと言うことである。

 2月10日のコンビ滑降は悪天候に加えコース整備が遅れ午後2時スタートという異常事態となった。マーク・ジラルデリ(LUX)、ギュンター・マーダー(AUT)らが次々とコースアウトした中、アッコラは5位に付けた。だがこのコンビの滑降が遅れたことにより、翌日のコンビ回転のコース整備及びコースセットは極端に遅れた。

 2月11日、激しい雪降りの中で行なわれたコンビ回転は多くの批判を浴びた。コース整備の不備、さらに運営の悪さ、ポールセットのひどさ。オリンピックとは思えないほどのフランス組織委員会の失態だった。アッコラは1本目、スタート直後に失敗し登り直して再スタートしたがトップに4秒以上の後れをとった。2本目、勝負を 捨てたアッコラはゴール前でクローチング姿勢を取り、さらにヘリコプターターンの後、後ろ向きでゴールし、ゼッケンをゴールの雪の中に埋めた。選手としてあるまじき行為とはいえ、出来る精一杯の抗議であった。

 オリンピックは誰のためにあるのか、IOCの為か、多額の金を消費する組織委員会の為か、選手のためか。ただ一つ言えることは主役は常に選手であるということだろう。アッコラの受けた警告はむしろ組織委員会に向けられた方が後味がすっきりするという出来事であった。

 2003シーズンを怪我でリハビリに費やしたアッコーラは2004シーズン、36歳の冬に再びワールドカップのピステに戻ってきた。30位以内の入賞は14回、最高位はガルミッシュ(GER)の滑降で上げた9位である。まだ続ける。
 2005年2月20日、アルペン・ワールドカップ・レーサー現役最高齢(37歳)のパウリ・アッコーラは、ワールドカップレースからの引退を表明した。2005年2月20日、38歳の誕生日にガルミッシュ・パルテンキルヘン(GER)で行なわれたスーパーGを31位で終了したアッコーラは、レース終了後記者たちに取り囲まれながら「もういいだろう、十分にやった」と語り、20年間に渡る選手生活にピリオドを打つことを宣言した。

 ワールドカップ生活17年間で、7勝、総合優勝・1回(1992年)、オリンピックのメダル・1(88カルガリー、コンビ銅)、世界選手権のメダル・3(89ヴェイル-コンビ銀、99ヴェイル-コンビ銅、01サン・アントン-コンビ銅)、'92年には総合優勝のほかに種目別スーパーGのタイトルを獲得している。現在出身地のダボス(SUI)で土木工事会社を経営、妻と子供二人の4人家族。

Biorama Basel